トピックス

  • 2022.08.08

今週のメッセージ「平和をつくる者」

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもとよばれるから」
マタイの福音書 5章9節

今年も暑い夏が来ました。私は暑さには強いはずのウチナーンチュ(沖縄人)ですが、年々上昇しているように感じる東京の暑さに抵抗するのは早々にあきらめて涼しい場所に引きこもってばかりいます。
毎年8月を迎えると『平和』について意識します。8月15日が終戦記念日ということもありますが、その終戦の決断を決定づけたともいえる8月6日の広島の原爆、そして8月9日の長崎の原爆の日を憶えるからです。それぞれの日に、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するための式典が行われます。恥ずかしながら最近知ったことなのですが、広島で行われる式典、正式名称は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」なのですが、総称としては「平和記念式典」という名称を公式に使っているということです。「祈念」という表現と「記念」という表現の両方をあえて使用しているところに広島市の姿勢を感じます。平和希求の想いを祈り誓うだけで終わらせるのではなく、8月6日を心に刻み、義務として後世に伝え残すのだという使命感、決意です。
そして将来へ伝え残すという決意は、広島女学院の高校生による「碑めぐり案内」などの具体的な取り組みに形として表れています。この「碑めぐり案内」のための学びと実践こそ、心に刻み継承していくこと、平和をつくりだすための働きとなっています。

戦後77年経ち、被爆や戦争体験者の高齢化が進む中で、体験者本人による語りべも年々減ってきています。先月、7月19日に沖縄戦での「集団自決」の体験者であり証言者でもあった金城重明氏がお亡くなりになりました。私の父と親交のあった方で私も何度かお会いしたことがあります。牧師先生でありまた教育者でもありました。そして何よりも私にとっては、ウチナーンチュ(沖縄人)としての私の沖縄戦の受け止め方、理解の基礎は氏が著された『「集団自決」を心に刻んで』(高文研)という本からの追体験によるものが大きいので、氏の逝去の報は非常にショックなことでした。しかし同時に、追体験をどう心に刻んで平和をつくりだす働きを継承していくのかを問われ迫られた思いを持ちました。あらためて氏の著書を読み返し、心に刻んだことを指でなぞるようにして確認しました。
その書籍の最後の章は「課題としてのキリスト教平和学」となっています。
「イエス・キリストは「平和の君」(イザヤ書9:5)としてこられました。」という書き出しで始まる章ですが、聖書における平和について多くの事が語られています。
キリスト教による平和学では、「和解の福音」を救いの根幹に据えていますが、新約聖書コリント人への手紙第二5章18節には「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」と書かれてあります。
私たちは神様から「和解の賜物」をキリストによっていただいています。キリストが、その尊い命の犠牲によって、神との和解のみならず、人間関係を不和と破壊に導く「敵意と隔ての壁」をも打ちこわしてくださった(エペソ2:14~)のですから、私たちは与えられている「和解の福音」、「和解の賜物」をもって平和をつくりだす働きをしていきたいものです。平和をつくりだす働きは、世界を繋げる心をそだてます。そしてそれは玉聖の教育が目指しているものでもあります。
近年の社会状況は「分断」を生み出し助長する傾向がだんだんと強くなっているように感じます。実際に「今の雰囲気は戦前に似ている」とか「戦前の香りがする」という言葉も聞かれるようになりました。暑さには抵抗せず涼しいところに引きこもってもいいかもしれませんが、「敵意と隔ての壁」につながる「分断」を生むことについて、また戦争につながるようなことについてはしぶとく抵抗していく必要があります。
私たち日本人は、世界に誇るべき「平和憲法」を持っています。過去の反省と平和の希求、それらを後世へ継承するために、大切にまもり、そしてその精神を実現していかなければならないものです。今、そして将来的にも私たちが平和を実現するために必要なものは戦争のための武力ではありません。人を傷つけるための武具ではありません。エペソ人への手紙6章11節には「悪魔の策略に対して立ち向うことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」とあります。「腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(エペソ6:14~17)ということです。
平和をつくるということについて、この時期にじっくり考えてみてください。そして神の子と呼ばれる祝福の約束が与えられていることに感謝して、神様からゆだねられていることに応えていきましょう。

お祈りします
天の父なる神様、御名を崇め賛美いたします。
あなたから愛されている者として、私たちが、深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けていくことが出来ますように。互いに忍びあい、だれか他の人に不満を抱くことがあっても、互いに赦しあうことが出来ますように。主が私たちを赦してくださったように、わたしたちもそのようにできますように。そしてあなたからゆだねられている和解の福音をもって平和をつくる者となり神の子と呼ばれる祝福を受ける者となれますように。イエスさまのお名前によってお祈りします、アーメン。

(事務長 金城信道)

月別に見る