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  • 2021.08.09

今週のメッセージ「『お・も・い・や・り』で平和をつくる」

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
マタイの福音書5章9節

平和についてより意識する8月に入って1週間余り経ち、東京オリンピックが閉会しました。現代のオリンピックを始めた、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタンの目指したオリンピックの理念、オリンピック憲章に掲げられているオリンピズムの根本原則は、「スポーツを文化、教育と融合させ、生き方の想像を探求することで、平和な社会の推進を目指すもの」とされています。オリンピックが単にスポーツの祭典というだけでなく、「平和の祭典」とも呼ばれている所以です。

世界各地で起きている紛争や人権弾圧に加えて、新型コロナウイルスは社会に新たな分断も生じさせました。そのような中でのオリンピックは、開催そのものの是非とともに、「平和の祭典」として、どのようにしてその目的である人間尊厳の保持に重きを置き、平和な社会を推進していくのかということも今まで以上に問われたのではないかと思います。
オリンピック開催によってさらに生じた分断もありましたが、それでも、各競技における選手たちの素晴らしいパフォーマンスや精一杯頑張る姿が多くの人に勇気と感動を与えていたこととも事実なだけに、複雑な思いを持った方も多いのではないでしょうか。オリンピックは閉会しましたが、もう一つのオリンピックであるパラリンピックがこれから開催される予定です。障害を持つ方々の可能性の豊かさに刺激を受けて、共生社会の推進がより進むことを期待します。

聖書には、弱さの中にこそ神の力は完全に現れるということが書かれてあります。また、神様から、平和をつくる者となることを期待されている私たちは、神の子であるキリストのからだであって、一人ひとりはその部分ですとも書かれてあります。そして「それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。」(Ⅰコリント12:22)、「それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。」(Ⅰコリント12:25)と書かれています。ですから、「部分」としての私たち一人ひとりが、互いに配慮し合い、いたわり合い、愛し合うときに、平和が生まれるのではないでしょうか。なぜならば、平和である状態というのは関係性の中の調和だからです。
「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともによろこぶのです。」(Ⅰコリント12:26)という関係性の調和のために、「おもてなし」で喜んでもらうのもいいですが、私たち一人ひとりが、「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。」(ローマ人への手紙12:15)という偽りのない「おもいやり」の愛をもちたいものです。

お祈りします

神様、暑さ厳しい日が続く中、コロナの感染も広がっていますが、どうか私たちの心や体の健康をお守りください。大変な苦労と重荷を担ってくださっている医療従事者の方々の上に神様の大きな恵みと祝福と守りがありますように。そして感染して苦しんでいる方々には一日でも早い癒しをお与えください。平和について思いをはせるこの時期、そしてさまざまな誘惑も多い時期です。あなたのみこころは何であるか、何が良いことで、神に喜ばれることかを判断できるように、いつも共にいて助けをお与えください。
イエス様のお名前によってお祈りいたします。 アーメン。

(事務長 金城信道)

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