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  • 2020.08.09

今週のメッセージ

「弱さから生まれる平和」

キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
エペソ人への手紙2章14節~16節

クラスター、オーバーシュート、医療崩壊、緊急事態宣言、三密、ロックダウン、ソーシャルディスタンス・・・これらの言葉に囲まれ、感染症予防だけが先行していく中、戦後75年目の8月、75年目の広島、長崎の原爆の日を迎えました。
命の重さ、大切さは変わるものではありませんが、コロナ禍と戦争を並べて語ることはできません。戦争は、力による繁栄と拡大を求めて、無数の命が国家権力のもとに奪われていったものです。今の私たちには、新型コロナウイルス感染拡大による生活の不便さは確かにありますが、戦争中の生活に比較されるものではないということを、わきまえておきたいと思います。
今年の中三、高二の修学旅行は海外から国内に、それも長崎を中心とする九州への旅行に変更されました。九州の文化と歴史、とりわけキリスト教と平和の学びのために、良い校外授業の時となるよう心から願い、神様はその時にふさわしい最善のものを下さると信じて備えていきたいと思います。中でも長きにわたって玉川聖学院の生徒にご自身の被爆体験と戦争の悲惨さを語ってきてくださった下平作江さんが、今回再び中三の生徒に語り継いでくださる予定で準備を進めてくださっているとのことに感謝し、実現されることを願い、祈ります。
また、9月に延期された平和週間最終日の平和講演会では、広島で被爆され、また、被爆された方々のために尽くすお父様のお働きを見てこられた、近藤紘子さんを玉聖にお招きしてお話を聞く予定です。
戦後75年の間、政治や経済における国と国との不穏な時はしばしばありましたが、幸いなことに戦争が起こらなかったのは、これらの方々の、あのむごい出来事を二度と繰り返してはならないという、強い思いに支えられてきたからではないかと思います。このような出会いの恵み、再会の恵みが与えられた年。この夏、静かに平和について考えたいと思います。
聖書では平和でのことを「シャローム」といい、神の平和、神の真実、契約、神との和解と訳される言葉です。その平和はイェス・キリストの十字架の贖いによって私たちに与えられました。力による支配ではなく十字架の死というみじめさ、弱さから、シャロームはもたらされました。
戦争は強い力による独占と支配による利益を求めますが、平和は弱者が、弱いからこそお互いを必要とし、分かち合おうとする思いやりの心から創り出されます。平和を創り出すということは、自らが弱い者であることを認め、自らの弱さに向き合うことから始まるといえます。
使徒パウロは「私は、キリストの力が私をおおうためにむしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」といいます。力による独占と支配からもたらされる利益ではなく、弱くみじめな十字架の死こそが私たちを生かし、私たちに平和を与えてくださることを憶えて祈りたいと思います。

【祈り】
平和の神様、
力を誇示し、独占と支配の争いを広げる世界に、あなたはキリストをお遣わしくださり、弱さである十字架を通して、平和を実現してくださいました。あなたからの平和をいただいたわたしたちが、真実の平和のために働く者となりますようにお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
(中等部教頭 笠井洋子)

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