いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2017.04.17

爽やかな風の中で

 4月は学校にとって特別な季節だ。桜の開花とともに入学してきた新入生、そして新たな決意で進級して新学期を迎えた生徒達が登校してくると、毎年新たな風が吹いてくるように感じるからだ。今年度も新鮮な心地よい風の中で新しい歩みが始まった。爽やかな風に呼び覚まされたかのように花々が咲き誇り、木々の芽が次第に開かれて一斉に新緑色に光景が変わっていくように、学校内でも新たな日常生活が始まった。

今から20年前に書いた私の初めての本のタイトルを「風と出会う」(いのちのことば社1996年)とつけた。冒頭でこのように書いている。

「教師とは、生徒たちからの風を受けて鳴り出す「風鈴」のような役割を期待されているのではないかと、私は思います。風鈴は、風を受けた時に初めて鳴ることができます。同時にいつも鳴る状態になっていないと役に立たないものです。いつでも風を受け止める心の準備ができていることが私たちには大切ではないかと思います。」

果たしてこの20年の間に、私の風鈴はどれほど鳴り続けることができたであろうか。新鮮な驚きを日々に言葉にして発信してきたであろうか。どこかで現場感覚を忘れて、惰性に流されてしまわなかっただろうかと振り返った。たしかに新しい優しい風が吹いている。始業式の際、壇上からの式辞に対して、まっすぐに顔を上げてこちらを見つめていた生徒たちの姿の中に、新入生の名が呼ばれた時に、しっかりと返事をして立ち上がった生徒の中に、期待と決意を感じることができた。この4月を契機に教室に復帰する生徒、新たな役割に挑戦しようとする生徒、意欲的な学校生活を送ろうと決意した生徒たちに触れることができ、若さの特権とは「変わることができることだ」と改めて思わされている。

残念ながら世界の現実は、不安と恐怖が満ちている。心の窓を閉めて内向きの生活をすることが強いられるような情報が、暴風のように吹き荒れている。同時に暴言と紙一重の非日常的な勇ましい発言が飛び交い、人々の心は乱され続けている。「戦争が廊下の奧に立っていた」という句は、1939(昭和14)年に当時の大学生が詠んだ俳句だが、私たちの国を取り巻く世界の情勢は、戦争への不安を掻き立てられるような状況になっているように思われる。このような時こそ、私たちはしっかりと日常に立ち続けて、周囲に振り回されない心を持ちたいものだ。

学校という現場では優しいそよ風が吹いている。この風に励まされてこの一年の歩みを始めていこうと思わされる。社会に対しての否定的な思いに打ち勝ちつつ、このコラムを通しても、今年も自分自身が感じている新鮮な驚きを、教育の言葉として発信していきたいと願っている。

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