いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2017.06.12

キリスト教学校の連帯

 先週末にはキリスト教学校教育同盟の第105回定時総会が、東北学院大学を会場として行われた。1910(明治43年)第1回総会と記録されているから、戦争中の中止時期をふくめて、100年以上の伝統を育んできたキリスト教学校の連帯の証となるつながりが今年も実施された。今年度から同大学の宗教主任の一人として採用された本校卒業生に会うことができたのも嬉しいことであった。

 この全国組織の中で私は現在まで理事として関わることが許されているが、様々な問題課題はあっても理念において共通している各学校法人が、研究と学び、交流と相互援助の機会を長年にわたって継続してきたことの幸いを、今年も実感させてもらった。学生数が数万人もいる大きな法人から、生徒数100名足らずの小さな法人まで形態は異なり、それぞれが独自の建学の精神を持っているが、普遍的な教育理念において共通の価値観に基づく各法人の交流は、総会のみならず様々な研修会においても、規模の大小や経営状態の状況、伝統の有無などとは無関係に、対等な交流の機会が提供されている。大学の学長も中高の教員も共通の課題について討議し発言できる自由な空気がここには存在している。

 キリスト教学校教育同盟が成立したのは、明治中期の国家主義的教育が強まる中で、学校における宗教教育を禁止した「訓令12号」の発布による、宗教立学校の特権の剥奪を契機としていた。これによりキリスト教主義小学校は壊滅的な打撃を受けた。なぜなら同時期に義務教育無償化と全国一律の小学校教育の中身の統一がセットとして進められたからだ。中等教育では兵役の免除や大学入試資格の剥奪など厳しい問題に直面しながら、各校は連帯を組んで、実質的な法令のなし崩し化に奔走していった。先人たちの祈りと労力によって、キリスト教学校はかろうじて守られた歴史があった。

 現在100年の時間が経過したが、今日キリスト教学校の連帯は社会的な意味を持っているだろうか。交流の機会はあるが相互にとって実質的な連帯の意識づけはあるだろうか。戦後キリスト教学校はマイノリティであった戦前の困難な時期を乗り越え、民主主義と教育基本法(1947年成立)により守られて、戦後教育の中核的役割を果たすようになった。しかしそれが危機意識を低下させ、マイノリティだから気づける課題への視線を見失わせてこなかっただろうかと改めて問われる気がしている。

 本校は同盟の中では小さな学校に属しているが、近年各大学との間のパイプは太くなり、高大連携関係を結ぶまでの人的交流を深めてきた。この国の政治や教育は再び揺れ動いている。進められているように思える教育改革は、ある日突然あの訓令12号のような問答無用の法令に変化しないとも限らない。だからこそ、真に教育的であるとはどういうことなのかを吟味しつつ、日頃から教育的矜持を磨いておかねばなるまい。本当に児童・生徒・学生のためになる教育を目指して、柔らかい心で目の前の生徒たちと向き合いたいとあらためて思わされている。

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