いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2024.04.08

「始めること、始まること」

4月は始まりの季節だ。学校教育と関わる中で毎年感じられる幸いは、「始まりの時」に立ち会える恵みだ。入学式に出席すると参加するだけで新鮮な気持ちが伝わり、始まりの予感にワクワクする生徒たちが眩しく見える。桜が美しく咲き始めた中で行われた今年の入学式は、コロナ明けで大勢のご家族も共に参加され、始まりに相応しい式典となった。
学生時代の幸いは、毎年区切りとなる式典を経験できることかもしれない。毎年、一つずつ学年が上がっていくとともに、今年こそと言う思いを込めて、新たな気持ちでやり直しができる。始めようと思えば、新たに始めることができる。節目を持つことの大切さはそこにあるのだろう。

新しく始められるのは若さの特権なのだろうか。「始めようと思うと始められる」のは、心の向きの問題かもしれない。マルチン・ブーバーは「年老いていることは、始めることの真の意味を忘れなければ本当に輝かしいことだ。」(『隠れた神』)と言っている。人生の冒険はいつも未知の世界に向かって行こうと決意するときに新鮮なものになっていくのだ。幾つになっても、気持ちが行動を変容させるのだ。
しかし年齢や経験を重ねると、自らの経験がつくった準拠枠が大きくなっていき、新鮮な気づきを失う危険がある。他者との関係の中に身を置いていることで改めて自分自身の「始まり」に気づけることは、幸いなことだ。人は人との関係を通して人間になっていくのだから。

人生の中には、自ら始めるのではなく始まってしまう事もある。突然、思っても見ない状況に襲われたり、予期せぬ変化に見舞われたりすることで、その困難を引き受けなければならないことも起こってくる。今までの立ち位置に留まることが出来ずに、新たに始めなければならないこともある。人生の選択の多くは、そういう変化の前に立たされることの中での選択であったことの方が多いのかもしれない。

ナチスによるアウシュビッツでの理不尽で過酷な体験をさせられたフランクルが、その経験を通して知り得た真理を、著書『夜と霧』の中で、
「わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ。・・・生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。」
と語っている。自ら始めるのではなく、始まらねばならなかったことを引き受け、その意味を問い続けていくことが、私たちの生き方を自分のものにしていく。そのことを学ぶために、私たちは生きているのかもしれない。

新しい気持ちで新しい生活を始める生徒たちがこれから直面する課題はどういうものなのだろう。世界は分断と混乱に満ちている。時代も変化し社会の空気も変わり、人間が孤立していくように思われる時代の中にあって、本当に人間らしい豊かな心を育ててほしいと切に願わされる。目の前の現実に戸惑うことがあっても、決して諦めることなく、自らの使命に気づき、いつも新しい自分を歩み続ける人になってほしい。そんな願いを持ちながら、名前が呼ばれ「ハイ!」と大きな声で返事をして立ち上がる生徒たちを見つめていた入学式だった。

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