いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2017.11.13

多様性の中の普遍性を発信する

11月に入り、キリスト教学校教育同盟の二つの研究集会に参加した。一つは金沢の北陸学院で行われた中高の研究集会、もう一つは関西学院で行われた代表者協議会だった。いずれも全国のキリスト教学校から集まった教師や管理職の先生が、キリスト教学校の置かれている現状について話し合う貴重な機会だった。

 東京にいると見えないものがある。この国の政治や経済でも同じことが言えるが、地方の諸地域で定点観測しているからこそ見えてくるものがあることを、数々の発言から窺い知ることができた。自分の経験や身近にある情報から全体を判断してしまう危険性を再び感じることができた。この時代に本当に子供たちに届く教育はどうしたら実現できるのだろう。地に足のついた議論や考察がさらに求められていることを実感することができた。同時に悪戦苦闘しながらも、建学の理念を現代化しつつ、地域に信頼される学校作りをしているという実践例を見聞きして、大変励まされた。

 プロテスタントの理念がこの国に伝えられて150年が経過したが、果たして聖書の豊かで幅広い世界観はどれだけこの国の人々に伝えることができたのだろうか。キリスト教主義に基づく教育を目指して創立された学校は数多い。歴史的経緯の中で、明治時代の国家主義の台頭に伴う「訓令12号」による宗教教育禁止令や、戦中の宮城遥拝への参加などなどを巡り、様々な試練の中で淘汰された学校もある。しかし戦後の教育基本法の制定により、個人の尊厳を守り育むことを教育の目的とするキリスト教学校の教育理念は、この国の教育の中核を担うようになり社会的認知度は確かなものとなった。だが存在価値がメジャーになったことにより、マイノリティとして発信し続けていた預言者的な洞察力や小さきものに宿る魂からの発想は、伝え続けられただろうか。

 もともとプロテスタントはカトリックの普遍性に対して、多様なものの見方を提供する運動だった。しかしそれが結果として不幸な争いを生むと同時に、カトリック教会の再建とイエズス会による世界宣教をもたらした。ルターが出なければザビエルは日本に来なかっただろう。

 この多様性は各キリスト教学校にも受け継がれている。それぞれが独自の建学の精神をもち、私学としての実験的な教育を行ってきた。それでいて、共にこの国の教育のあり方に対して共通した提言や発言を繰り返してきた。この多様性と普遍性を守ることが、これからのキリスト教学校にとって、大事なことなのではないかと思わされた。

 一つの小さな学校の教師である私が、不思議の導きの中で大学を含めた全国のキリスト教学校との交流をもたせてもらいたことを感謝している。キリスト教学校教育同盟な働きに関わることができたことも感謝している。色々な学校の多様な人達と接することで、目が開かれ、視野が広がり、問題意識が深められた。全国の中高、そして大学とのつながりをも深めることができた。高大連携という提携関係も構築できたことも大変嬉しく思っている。この交わりで得られるものをこれからも大事にしていきたい。

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