いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2020.12.10

クリスマスを迎える

1742年にヘンデルの「メサイア」の初演が行われた当時のイギリスで、宗教改革運動を行っていたジョン・ウエスレーが克明に記している自身の日記を読んで見る。12月にもクリスマスを祝う話はほとんど出てこない。ドイツでは16世紀から少しずつ祝われるようになったものの、ピューリタンの台頭していたイギリスでは、18世紀までは淡々とクリスマスシーズンが過ごされていたようだ。どうやらクリスマスの祝い方が今日のように変化したのは、資本主義社会の到来と歩調を合わせていたように思われる。

今年のクリスマスは、日本のみならず世界中がコロナ禍の中で迎えられることとなった。依然として新型コロナウイルスによるおびただしい死者が出ていることが報道されている。重苦しさが漂っている。街の電飾は例年のように取り付けられて光を放っているが、なぜか例年とは違う思いでそれを眺めている自分がいる。人の移動を支援することで経済を活性化しようと躍起になっている行政のあり様に、分断されている社会の実態を垣間見ているような気がしてならない。本当に困難を抱えている人々、追い詰められている人たちの痛みが届けられない。孤独を抱えて相談相手を失って孤立する若者そして高齢者の姿が見えなくなっている。医療従事者、介護や福祉の関係者の悲痛な声が届かぬ闇の中で、今年のクリスマスを迎えようとしている。

クリスマスは待ち続けた人のもとに訪れたよき知らせであった。救いの御子の降誕を見いだすことができた人は、ほんの一握りの人たちでもあった。彼らはその降誕を待ち焦がれ、シメオンやアンナは、大勢の嬰児の中から救い主を見つけ出した。闇の深さを感じられる人だけが、微かな光を見出せたのかもしれない。本当に真実を求める人に、クリスマスの祝福がもたらされたのであろう。

今年のクリスマスは、例年のように行事に明け暮れるクリスマスにはなりえない。それでも何とかクリスマスを祝いたいと、学校でも工夫を凝らして準備が続けられている。そこにも生徒と教師たちの、大事にしたいものを守ろうとする熱意が伝わってくる。例年とは違うが、おそらく一生記憶に残るクリスマスを皆で迎えることができるだろう。

同時に私は考えている。本当に大事にすべきものは何なのか。立ち止まって考える機会を最後まで与えられたこの一年であった。断念すること、中断したこと、できなくなった事を数えてみると、それ以上に得た事、発見した事、わからされたことの多い年であったように思う。2000年前のクリスマスに改めて思いを寄せて見たい。静寂の中で始まる救いの物語に改めて心を留めたい。そして本当の喜びの訪れを待つ人たちのもとに、祝福が届けられることを心から願いたい。そのような思いを込めて、メリークリスマスと心を込めて叫びたい。

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