心を磨く

  • 2020.06.22

今日の聖書のことばと祈り

新約聖書 ペテロの手紙 第二 1章 5~7節
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」

 時々我慢の限界が来て「これ以上どうしろというの?!」と思う時もあるでしょう。他人のためにいろいろなことを譲って、寛容であろうと努力してきた人であればこそ、そんな思いに襲われることがあるのではないでしょうか。そんなときには、自分だけが忙しくて、無理をしていて、誰もわかってくれない、という気持ちにもなります。そんな自己憐憫が心の中に広がってきたら厄介です。自分がかわいそうだと思う心は、自分が正しいと思う心以上に、奥深く私たちの自己中心性を支配するものですから。

 神のことばは、私たちの心をどこまでも広げるようにと要求します。もっと大きく、もっと豊かに、もっと深く、人との関係性において成熟するようにと励まします。「ここが限界」というところから、新たな努力を始めるようにと促します。上記のように畳みかけるような命令がなされている背景には、キリストを信じる者はすでに神と性質を分け合う者となっているという前提があります。「自我」という限界に縛られていた私たちは、救い主を知ることによって、イエスのようになりたいという願いに捕らえられます。それだけではなく神ご自身が私たちの中に住んで、その願いの実現を助けてくださるというのです。

 自己憐憫の気持ちよさから逃れるには、イエスの十字架を見上げることが必要です。神の子の死によって表された神の愛は、私たちの自己中心性に対する嘆きと憐れみに満ちています。私たちは、自分の心が怒りや我慢でいっぱいだと感じるかもしれませんが、本当は、心を埋めるものがなくて空っぽだから、人に与えることができないのです。私たちを取り囲んでくださっている神の愛に目を転じるならば、がちがちに固まった自我の砦が、柔らかくかたちを変え始めていくことでしょう。

【祈り】
天のお父様。自分ひとりで我慢していると、すぐに爆発してしまいます。どうぞ私の思いをあなたの愛で満たしてくださって、あなたの心を学ぶことができるように助けてください。
イエス・キリストの御名を通してお祈りします。アーメン。

月別に見る