心を磨く

  • 2020.04.05

今日の聖書のことばと祈り

 週末の外出自粛が要請されて2回目の日曜日となりました。毎週日曜日はイエス・キリストが復活した日として、キリスト教会では礼拝を行います。しかし新型コロナウィルス対策のために、いつもは礼拝に行っているのに行けない人たちも多いことでしょう。今日は、このページを読むことを通して、それぞれの場所で短い礼拝を個人的にささげてみませんか。以下、いつもより少し長めの文章になります。できれは少し静かな環境で、10分位時間をとって、以下の文章を読み進めてください。

【黙想】
短い時間、目をつぶって、心を静めます。
いろいろな心配や気になることを、心の中で一旦脇に置きましょう。
神に心を向ける、ささげる、という思いになれるように、心を落ち着かせます。

【賛美】
賛美とは、神に私たちの敬意と愛を表現することです。
今日は、以下の聖書のことばを、ゆっくり意味を考えながら読むことを通して、神を賛美しましょう。私たちが礼拝によって心をささげる神は、このような神なのです。

旧約聖書 詩篇116篇 5~7節
主は情け深く、正しい。
まことに、私たちの神はあわれみ深い。
主はわきまえのない者を守られる。
私がおとしめられたとき、私をお救いになった。
私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。
主はおまえに、良くしてくださったからだ。

【祈り】
父なる神様。あなたのお名前がたたえられますように。
今日も先が見えないような日です。いつ元の生活に戻れるのかもわかりません。
しかしこの中でも、あなたのみこころが行われますように。
そして、私たち人間の利己的な思いがあなたの前で暴かれて、素直にあなたに従う私たちとなれますように。
これからしばらくの間、今日はひとりであなたを見上げます。この礼拝をあなたが喜んで受け取ってくださいますように。そして私の心も、豊かに満たされるときとなりますように。
全世界で不安な時を過ごしている人々のうちにも、あなただけが与えることのできる平安をお授けくださいますようにお願いいたします。
イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

【聖書】
新約聖書 ルカの福音書 23章39~43節
十字架にかけられていた犯罪人のひとりは、イエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

【メッセージ】
 私たちの人生には、死がとても近く感じられる時があります。身近な人が亡くなった時や大切なペットが死んだ時。そしてこの数週間のように同じ町や国で感染者が増えて、病むことや死ぬことと隣り合わせにいる事実を知るときに、死は決して遠いものではなく、いつ自分の近くにやってくるのかわからないということに気付かされます。こんなとき、私たちはみな、生きる意味を考えるのではないでしょうか。今まで何となく持ってきた人生観では、今の自分を納得させられないと感じます。そして今までの生き方について、これでよかったのだろうかと考えます。今読んだ箇所には、まさにそのように死の間際を経験している人物が登場しています。これは、イエスが十字架で処刑されるという聖書の中で最も大切な場面です。

 彼の名前は聖書には記録されていません。処刑の理由は強盗の罪だったということはわかっています。彼はもう一人の同業者と一緒に、イエスを間に挟むかたちで十字架につけられていました。同じ極刑の苦しみを受ける中、人々がイエスに対して執拗にひどい言葉でののしっていることに気づきます。見ると、祭司長や律法学者など、いつも偉そうにふるまっている先生たちもうれしそうに群集と一緒にあざけっています。イエスの頭上に張り出されている罪状は「ユダヤ人の王」。これがこの男の罪状? 「王だと自称しただけでここまで人々に憎まれるとは、一体この男は何をしでかした奴なのか。そしてどうしてずっと黙っているんだ。どうせ死ぬんだから、その前にあいつらをののしり返してやればいいじゃないか。」彼は初めは、もう一人の強盗と共にイエスを馬鹿にしていたようです。しかしイエスがうめくように祈っている言葉を聞きます。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
 釘で打ち抜かれた手足の激痛と苦しい呼吸の中で、彼はイエスの祈りに、自分のことも含まれていることにぼんやりと気付いたのだと思います。「自分は何をしているのか。何をしてきたのか。それを私は自分で分かっていないのだろうか?」
 彼がその後何を考えたのかはわかりません。しかしもう一人の強盗がイエスをあざけったとき、彼はその言葉をさえぎるのです。
 「私たちはみんな死ぬんだぞ。おまえはここまで来ても、まだ神が怖くないのか。私たちはやってきたことへの報いを受けるんだ。そういう人生を選んできたのだから、私たちには当然のことだ。でもこの方は悪いことをやった人じゃない。」
 死を目前にしてもなお神に祈り、人々への恨み言を言わないイエスを見て、彼は「この人は普通の人間ではない」と思ったのではないでしょうか。彼はイエスに祈るかのように願いを伝えます。
 「あなたは天国で王になる方なのでしょう? そのときには、私のことを憐れんでください。」
 彼は、「天国に入れてください」とは頼めませんでした。図々しすぎると思ったのかもしれません。でももしできることなら、神が私を憐れんで赦してくれないだろうか。その願いを「私のことを思い出してください」という言葉で伝えたのです。そしてイエスは、その心をそのまま受け取り、その願い以上の言葉で返してくださいました。
 「あなたは今日、わたしと一緒に神の国に入ります。必ずそうなります。」

 死や極限状態を前にするとき、人は選択します。自分の罪深い人生を認めて神に向き合い直すか、改めて神を拒絶するかの二択です。イエスという救い主は、私たちにその選択が存在するということを教える方です。
 緊急事態が長期化する世界において、私たちもそれぞれ人生を問われているのではないでしょうか。神の救いがある人生を選ぶか、神がいない世界にとどまるか。苦しみや恐れに取り囲まれている私たちですが、その苦しみを共に受けている救い主がすぐ隣にいるということに気付きましょう。この方は、あの強盗に対してそうであったように、私たちの心の願いをそのまま受け取り、それ以上に応答してくださる方です。

【祈り】
天にいらっしゃる愛する神様。
今まで経験したことのない長期戦の感染症との戦いの中に私たちはいます。この中で私たちがあなたの憐れみと救いを知ることができるように助けてください。
今病んでいる人たち、苦しんでいる人たち、そして彼らを助けようと働いている人たちをお支えください。それぞれの労苦と疲弊の中でも、あなたが共に苦しんでいてくださり、脱出の道に向かって導いてくださっていることを彼らが心で知ることができますように。
救い主イエス様の御名によってお祈りします。 アーメン。

【黙祷】短く、自分の言葉で心の中で祈りをささげて終わりましょう。

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