いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2024.04.24

「伝えられていくもの」

今年の体育祭は4月22日、会場の関係で新入生が学校生活を始めてわずか2週間余りの時期に開催された今年度最初の学校全体行事だった。これに参加することで学校の一員になったことを実感する。雨模様の天候だったが、代々木第一体育館での体育祭は、新入生が醸し出す爽やかさと、生徒たちの熱気にあふれる1日となった。

今年印象的だったことを三つ記しておきたい。第一は生徒たちが全体で秩序を守り、一日中よく走り回っていることだった。体育祭実行委員を中心に中高の生徒主体で計画され準備され運営されていた。コロナ禍の数年は制約が多く、前年の記憶をもとに改善を重ねていく運営方法が取りにくかったが、すっかり以前のように上級生から下級生に運営のノウハウが伝えられ、それぞれが自分事として役割を受け止め、生き生きと行事そのものを運営している姿を嬉しく見ることができた。円滑な運営のためには、ルールを作り枠の中で存分に力を発揮することが求められるが、生徒たちは逸る気持ちを抑えて、秩序を乱すことなく一体となって体育祭を盛り上げていた。
生徒たちを見ていて、学校行事が生徒の自己肯定感の形成にいかに大切であるのかを改めて確認する思いがした。恒例の高3ダンスも、生徒たち自身が対話を重ねて、オリジナルなダンスを通して思いを伝えたいという気持ちが直接響いてくる内容だった。まさに学習指導要領で示された「主体的対話的で深い学び」の実践でもあるように思えた。このダンスを見た下級生たちは、未来の自分をイメージしていたのだろう。

第二の点は、生徒たちは競技や演技に全力で取り組むと共に、「勝ち負けを超えた達成感」を感じている事だった。クラス対抗の競技は競争なので、当然順位がつく。最後まで諦めずにプレイしても結果は歴然と出る。しかし1位になっても最下位でも同じように声を上げて喜び、クラスの健闘を称える。失敗を責めることなく、励まし合う空気が自然に作られていることにも感心した。全力を出して参加して味わえる達成感なのだろう。また、クラスを超えて健闘を称え合う光景は、もしかすると今の玉川聖学院特有のメンタリティなのかもしれない。ずっと以前自分が若かったころ、生徒たちは競争意識をむき出しにして、騎馬戦や棒倒しなどの競技に夢中になり、競技終了後も判定や結果に拘っていた生徒たちの気持ちを宥めることに気を遣った頃のことを思い出す。次第に培われてきた現在の雰囲気は、実に後味が良いと感じる。

第三は生徒たちを見守る保護者や教師たちの眼差しの温かさだ。観客席に父親の姿も多くみられた。家族の視線の先には生身の体を精一杯用いて全力でプレイする子どもたちがいる。この日までの成長を実感しながら応援する姿は麗しい光景だ。そしてその期待を受け止めて、生徒たちの支援をしつつ、クラスと一体となって喜怒哀楽を共有している教師たちがいる。世代も代わり若い先生たちが増えたが、一生懸命生徒をサポートしている姿が嬉しい。スクールアイデンティティはこうして形作られていくのだろう。

体育祭終了後、体育館を出たころには雨も上がり、神宮の森は豊かな新緑に覆われていた。木々はより新鮮に見えた。生徒たちから何か元気をもらったような一日を過ごすことが出来たことが嬉しかった。彼らにとって、始まったこの年度の一つ一つの出来事が、さらに思い出深いものになるようにと祈りたい。

月別に見る