いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2023.07.11

「心を響き合わせるために」

先日の人間学読書会では、吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」を取り上げた。コロナ禍に突入して中止となった2020年3月に予定していた本だったが、この夏に同名のジブリ映画も上映されるということで、今回改めて読み直すこととした。
初版が1937(昭和12)年、物語の主人公コペルくんは旧制中学2年生という設定だが、その後の歴史を知る私たちは、痛いほど著者の懸念していた危機が伝わってきた。コペル君はちょうど後に学徒出陣により戦争に駆り出された世代だった。歴史的現実を踏まえ読み返すと、描かれているエピソード一つ一つが重く心に突き刺さる。歴史と対話するような読書会となった。
ものの見方が狭くなり、自分中心にしか世界が見えなくなることの怖さを改めて実感した。それは決して過去だけの出来事ではない。昨今「新しい戦前」と言われる時代の気配が感じられるからこそ、この本が再び広く読まれているのだろう。

自己中心にものを見ることと、そういう自分に同意をする者たちだけで結束して考え方の違う人たちとの分断を計ることが、子どもたちの身近なところでも国と国との関係においても顕著になってきている。コペル君が体験的に学んだように、物事を俯瞰して眺めたり、自分を相対化する視点を持つことが困難になってきているように思う。ネット社会はそれを助長し、匿名性に守られて、言いたい放題が許される社会状況が作り出されている。それを利用しようとする人たちが、社会的影響力を持つようになってきている。明らかなのは「体験的に理解していく過程」が無視されていることだ。そして本来教育が担うべき分野が、この体験を通して人と共に築く世界のあり方なのではないだろうか。

去る6月、久しぶりに横浜のみなとみらいホールで、学校の音楽会が開催された。中高全クラスの合唱と個人演奏を聞いた。コロナ禍で一番影響を受けたのは音楽の授業だったかもしれない。密をつくるな、声を出すなと社会全体で言われる中、マスク越しに合唱をつくることは大変だっただろう。そこから解放されて、改めて合唱の持つ素晴らしさを体験的に生徒たちが味わっている様子を垣間見ることができた。
今年の講評者であるソプラノ歌手の西由起子氏は、さらに良い合唱を創り出すためのヒントを、生徒たちに語りかけていた。「歌いながら他のパートの声を聴こう」「心を響かせ音楽を作る喜びを味わおう」「地声を抑えて合唱を作ろう」「歌詞の内容を深く理解し合おう」「今、この瞬間に作り上げる仲間との一回限りの音楽を大切にしよう」。ひとつ一つの言葉は、音楽の喜びを知る先達からのわかりやすいメッセージであったように思う。

これらの言葉は、人が人と一緒に作り上げていく世界の営みに共通する言葉だ。そして教育が提供する「体験を通しての学び」とは、こういうことを心の奥に刻み込んでいくことなのではないかと思わされた。生身の体験がますます乏しくなり、情報に踊らされる社会のあり方に飲み込まれないように、地に足のついたひとつ一つの体験を提供することが、今本当に必要ではないか。今ある情報を鵜呑みにせずに、五感を働かせることの中で確かなものを選び取っていく生き方を、どのように提供していけるか、それは真理を次世代に手渡す側が問われているのかもしれないと思わされている。

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