いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える~

  • 2020.04.13

内なる免疫力を高めよう

 日本中が新型コロナウイルスとの戦いに翻弄されている。日に日に感染者が増え、世界各地で起きている感染爆発が日本でも起こることへの不安と恐れが高まりつつある。人々は困惑の中で心を騒がせるが、メディア報道は最悪の事態を予測する報道を繰り返している。行政の対応に対する不満は怒りに変化しつつある。それでも多くの国民は、この事態が通り過ぎることを願い、協力して自粛行動をとっている。

 残念ながら入学式も始業式も持つことができずに今年度をスタートせざるを得なかった学校教育現場は今、この未曾有の出来事の中で何を学ばねばならないのだろう。それは今まで当たり前としてきた前提を問い直すことなのだろう。学校生活、授業、行事、進路学習等々、従来繰り返されてきた教育の営みが、何のために行われ、どういう教育的な意味を持っているのかを見直し、本当に必要最低限の学びとは何であるかを考えることなのかもしれない。だが、危機が何かを変えるのかもしれない。オンライン授業を準備している本校の教職員の姿勢からそれを感じている。

 今回のウイルスの蔓延は、文字通り見えない敵による私たちの身体への攻撃だが、これに打ち勝てるかどうかは、知識や経験の量ではなく私たちの身体の持つ外敵への抵抗力の強さによる。比較的若い世代の方がその力が強いのは生物としての人間の現実だ。医療、衛生、文化の力で寿命を延ばしてきた人間は、今、内なる免疫力の有無が問われている。免疫力を高める生き方をしているかが試されている。教育はこの身体性に関する知識の啓発と実際の訓練にどれほど力を入れてきただろう。身体を蝕む悪弊や食物に対する敏感さ、五感を働かせる危機察知能力や身体感覚を、体験的に習得するための支援など、教育的な課題も大きいように思わされる。
 同時に、身体と密接な関係にある心の免疫力も問われているように思う。不安、落胆、絶望、恐怖という、私たちの内なる免疫力を低下させる情報が飛び交う中、心が縛られ不自由になってていく。この閉塞感とストレスが、人間性を蝕んで心の免疫力を低下させていく。高度情報社会は非常な危険をはらんでいる。閉ざされた心からの解放をどのように身につけていけるかが社会全体の課題といえよう。揺るがない価値を軸とした生き方を伝えることが促されている。

 私たちは立ち止まって、内なる免疫力を高めていきたい。教育はトータルな人間のあり方を指し示す場にならねばなるまい。また共に生きる世界のあり方を再確認していかねばならない。差別と排除の論理を乗り越えるために、互いに痛みを感じる身体を持つ存在として、歩みを共にする道を探さねばならないだろう。身体性を基礎に置くことが、教育の課題だろう。嵐の過ぎ去るのをじっと待つのみならず、この期間に私たちは心と身体のあり方を見つめ直す時としたい。

 今年の受難節は、肉体を持つ存在として苦しまれたイエス・キリストの姿に深く思いを馳せる日々であった。復活の喜びを共に歌うことのできる日を待ちたい。

月別に見る