心を磨く

  • 2020.12.30

今日の聖書のみことばと祈り

旧約聖書 創世記28:15
「今日のこの日まで、
ずっと私の羊飼いであられた神。」

 1年の終わりにふさわしいのは、これまでの歩みを振り返り、神に感謝することです。
 
 私たちが思い出すのは、自分が何を成し遂げたか、自分に対して誰が何をしてくれたか、どのような事件や変化が社会にあって、それを自分はどのように感じてきたか、ということでしょう。テレビでも様々な特集を組みながら、この1年を総括しようとします。そしてその中で、私たちがいつも忘れてしまうのは、その中を生きてきた自分に、常に導き手がいたという事実なのです。

 上記の聖書のことばは、イスラエルが自分の生涯の終わりにあたって、息子と孫たちの祝福を祈るときの、神への呼びかけのことばです。
 イスラエルの人生は、ヤコブと呼ばれていた若い時から、妬みと戦いで満ちていました。彼は賢かったので、父をだまし、兄を出し抜き、叔父をも出し抜いてきましたが、同時にだまされもしてきました。自信と展望を失う孤独の中で、神との対話を繰り返した人です。晩年には、かつて自分が父にしたように、息子たちにあざむかれて、溺愛した息子ヨセフは死んだものと思い込まされて20年以上、悲しみの中を過ごしてきました。ついにヨセフと再会し、飢饉の中で一族が生き抜くために、ふるさとを離れてエジプトで生活を始めます。そんな彼の147年の生涯は、羊と共にありました。羊飼いという家業を通して、良い羊飼いとは羊にとってどのような存在かを彼は何よりも知っていました。
 目が弱く、戦う力がないにもかかわらず、自分勝手にさまよいでる羊たちの姿に、自分が重なります。そして、1匹1匹の名前を呼んで、よい牧場に導くために、杖でわき腹を軽く突いてくれる羊飼い。自分が迷い出てしまうときも、つまずいて自分では起き上がれないときも、必ずそばにいて手を差し伸べてくれた良い羊飼い。イスラエルにとって、神は羊飼いそのものでした。自分の罪、他人の罪が折り重なる中でも、神は自分を見捨てることなく、共に歩んでくださったという感謝が、彼の人生の中で最も確かなこととして残っていたのです。

 今年はいつもよりも静かな年の瀬になるでしょうか。どこかでひとりになる静かな時間をとって、あなたも、見えない神と対話してみませんか。「ずっと私の羊飼いであられた神…」と。

【祈り】
羊飼いとして私の1年を導いてくださった神様。よいことも悪いことも、あなたの御手の中にあったことを信じ、感謝します。あなたに祈るしかなかった出来事を通して、あなたと向き合えたことは、私にとって大きな祝福でした。イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りします。アーメン。

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