玉川聖学院 中等部・高等部

いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える

いつまでも残るもの<br>~この時代の教育を考える

「知恵の引き出しを開ける」

2025年、ふたたび新しい年が始まった。私たちの国にとって今年は戦後80年の区切りの年だ。一つの時代のサイクルを40年とすると、これからは戦後3番目の時代を迎えることになる。区切りは振り返りの時であり、未来に向けて歴史との「垂直な対話」をすることが促されるのだが、人々は日常に埋没したまま目前の話題だけを追いかける日々を送っている。過去の歴史的経験を振り返ることなしに、今溢れる情報の収集だけに躍起になっている。歴史の知恵から学ぶ視点を失っている。戦後という括りを問題視し、戦争という大きな犠牲の上に構築されてきた戦後民主主義のあり方に疑問を呈する主張や声までもが強くなり、改憲議論が歴史的検証を経ずに行われようとしている。

昨年12月の人間学読書会では、ヘンリー・ナウエンの『老い』(日本キリスト教団出版局)をテキストとして、皆で学ぶ時を持った。かつて出された『闇への道・光への道』(こぐま社)の再版だ。豊かな実りの季節である人生の後半の老いの時期が、社会や親しい人から疎んぜられ、自分自身からも拒絶されていく孤独の苦しみを経験している現実を考えた。ボーヴォワールは「老いを社会的問題として扱わずに、特定の誰かの個人の問題に貶めている」と主張したように、長い人生を経てくることで得られた知恵や見識の集積を疎んずる、生産性中心の社会のあり方について考えさせられた。その結果として、世代間の分断が進み、社会的経験の蓄積は用いられなくなり、次世代のロールモデルは喪失している。それは歴史を疎んずる社会の在り方と軌を一にしているように思われてならない。

昨年もクリスマスの締めくくりとして榛名クリスマス訪問を通して、色々なことを思い巡らすことが出来た。1980年以来続いてきた群馬県榛名南麓の社会福祉法人新生会への宿泊を伴うクリスマス訪問は今回で45回目を迎えた。ほぼ毎年参加して来た私は、今年も生徒たちのクリスマスカロルの歌声を、2000名を超えるかつての来訪生たちの歌声と重ねながら聞いた。今回各施設で司会の生徒が語った「玉聖と新生会はお互いを尊敬しあう親友のような存在です。」との挨拶の言葉が心に深く残った。親友=変わらない友であり続けるためには、互いを信頼し、はじめの精神を保ち続けている事が必要だっただろう。

この45年間、新生会は社会的にニーズに応えるために多様な形態のホームを創設し、規模は拡大して入居者とスタッフも増えてきた。しかし徹底的に入居者に寄り添う創業の精神は変わらず、いつでも開かれた関係を大事にし、ボランティアを受け入れ、世代間の交流を大切にする姿勢は直近ではコロナ禍でも変わらなかった。そんな新生会に信頼され、夏とクリスマスの生徒の訪問を継続し続けてきた玉聖の姿勢も変わらなかった。歴史が刻まれ、体験が経験化されて、より良い関わりの在り方を模索する姿勢を共有してきた蓄積により、変わらぬ関係性を保ち続けてきたのだろう。年を重ねることで培われる信頼関係を土台にこの訪問があることを実感した。

大切なものは人から人に伝わる。かつての世代が経験した事実と真実を受け止め引き受け、語り継ぎ手渡していくこと、それが教育の営みなのではないか。垂直の対話を重ねながら、今年もそのことを大事にしていきたいと強く願っている。