この秋は内外で選挙があり、再び政治の世界が大きく動き出し、また予測困難な状況が生まれつつある。理念や社会的正義より現実の生活を優先して考えたい投票行動が顕著に現れているように思え、世の中全体が「今だけ金だけ自分だけ」を求める気配を感じて少々気が重くなる。
そんな中、11月の人間学読書会では、Pippo著『人間に生まれてしまったけれど〜新美南吉の詩を歩く』(かもがわ出版)を読んだ。昭和の初期に書かれた『ごん狐』や『手袋の買いに』などの作品が、今も教科書に取り上げられている幼年童話作家であった新美南吉の生涯を、その「詩」や言葉と共に辿っている本だ。文字通り度重なる困難と逆境の中を、それでも夢を諦めずに29年という短い生涯を生き抜いた南吉の紡ぎ出した言葉を、大変味わい深く読むことができた。
新美南吉は体が弱かったために師範学校に入学できず、また「軍事教練」の単位が取得できなかったので教員免許を獲得できなかった。しかし周囲の勧めや働きで代用教員、そして英語教師として女学校で働く機会を得、そこで子供達の成長していく姿を温かい眼差しに見守った。
球根(たま)という短い詩が掲載されていた。
「この球根は 誰か住んでる。春の芽をそろへてゐるよ。この球根に 誰かいきする。花の芽をだつこしてるよ。この球根よ 誰かねてゐる。あたたかい春をまつてよ。」
球根は伸びゆく子供達を指しているのだろうか。誰か住んでる、誰かいきする、誰かねていると表現される球根の中に生きる何かを感じている。これから芽を出して育っていく、一人一人の子ども達の可能性、それぞれ独自の生命の胎動を感じている教師である作者の心が伝わる。
新美南吉自身は幼くして実母を失って孤独の中を育ち、若くして才能が評価されたが家族には否定される。それでも文学を志したが病いを抱え、喀血して東京での生活を断念して郷里に戻り静養を余儀なくされた。教職に就くも近づく戦争の気配の中でさまざまな制限を受ける。そんな絶望的に見える状況の中にあっても、子ども達の未来の可能性を見据えて、詩作や幼年童話を描き続けた。
生きる悲しみ、理不尽に思える自らの環境を抱えつつ紡ぎ出されたこの「言葉」は、人間の悲哀や不条理を感じている人たちの心を動かす力がある。心の深い部分から届いてくる励ましの言葉として受け取ることができるのだろう。小学生でも大人でも、生きることに真摯に向き合おうとしている人たちの心を動かしてきたのだろう。今回の読書会に参加している人たちの心にも届く言葉として、それを分かち合うことができた。
現実の世界は混乱を極めているが、それでも子ども達の内なる可能性を見据えることが教育の課題であることを改めて実感することができた一時となった。皆さんと幸いな時間を共有できたことを嬉しく思った。