40日に及ぶ長い夏休みを終えて、こうして皆で無事に<秋季開始式>を迎えられたことを感謝したいと思います。期待しながら夏休みを迎えたと思いますが、期待通りの成果を上げることができたでしょうか。
皆さんは様々な「体験」を重ねてこられたと思います。クラブの合宿、勉強合宿や補習、講習をはじめ、バイブルキャンプ、ワークキャンプ、ボランティアキャンプ、ヒロシマ平和研修、フロリダ英語研修、社会科京都研修、それに教会のキャンプ等の宿泊研修に積極的に参加して、見聞を広げ、深く考え、様々な人たちと出会い、他者とともに生きる幸いを経験することができたことは、これから大きな財産になっていくものと思われます。計画していた学習や練習、そして準備などを予定通り終わらせることができたでしょうか。十分できた人、八割がた計画を進められた人、最後に帳尻を合わせた人、まだやり終えていない人、一人一人事情は異なっていると思いますが、時は平等に流れていき、今日から秋の学校生活が始まりました。どうか、今日を新たな区切りとして、これからクリスマスまでの4ヶ月間をさらに有意義なものにしていってください。
そんなことを思い巡らしていた時、谷川俊太郎さんの「くり返す」という詩を思い出しました。
くり返すことができる あやまちをくり返すことができる
くり返すことができる 後悔をくり返すことができる
だがくり返すことはできない 人の命をくり返すことはできない
けれどくり返さねばならない 人の命は大事だとくり返さねばならない
命はくり返せないと くり返さねばならない
私たちはくり返すことができる 他人の死なら
私たちはくり返すことはできない 自分の死を
私たちは繰り返せるものと繰り返せないものを区別する必要があることを考えさせられます。この夏も戦争について考えることがありましたが、谷川俊太郎という詩人は一貫して「戦争を繰り返してはならない」と語り続けてきた詩人です。世界が混迷の度を増している今だからこそ、悲惨な戦争を繰り返してならないこと、「人の命は繰り返せないこと」を肝に銘じて訴え続けなければならないと思わされました。
とはいえ、人間はなかなか計画通りに物事を進めていくことが難しいものです。繰り返し失敗してしまうものです。そして予定通りにいかなくなると、全てを投げ出したくなる心理も働くものです。この夏、ずっと以前に読んだエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」という本を読み返す機会がありました。フロムは、なぜ知識人が数多くいたドイツで、ヒットラーのような人間に政権を持たせ、戦争に走らせてしまったかを解明しようとして書いたのがこの本でした。
「自由からの逃走」~本来人間が持っている「自由」をわざわざ失うようなことを何故してしまうのか、フロムは言います。「目の前の問題があまりに大きすぎると、人は絶望して考えることをやめてしまう。」そしてせっかく持っている自由を失ってしまう「自由からの逃走」の道を歩みだすのだとし、「現代における自由からの逃走の主要な通路(道筋)は、指導者への隷従~だれかが声高に発言し、考えることが面倒になった人たちがそれに従おうとすることと、民主主義社会において、あまりに人の意見に同調して自分の意見を主張することをやめてしまう時に訪れる」と語っています。
私たちに戻して考えてみるなら、もし自分で解決できない課題を抱えていても、後悔の念に駆られていても、また将来の不安や恐れに心が支配されそうになっても、「考えること」をやめてしまい「自由から逃げ出すこと」をしてはならない。自分で自分に与えられた「今日という日」を、正しく選び取っていくことの大切さを語っているように思われました。そうしないと持っている自由、平和、人権が失われていく危険があることをフロムは伝えているように思うのです。
人間の素晴らしさは、「やり直すことができる」ことだと思います。決意することで、新しい自分を生きることができる。昨日と違う私に変わることができる。諦めずに意志を働かせることで、やり直すことができる。だから逃げ出さないで、もう一度今日から始めようとすることが大切なのでしょう。
今日から再開される学校生活の中で、皆さんがそれぞれの目標に向かって、粘り強く毎日を過ごして、その夢を達成できるようになることを心から期待しています。新たの思いで、スタートしましょう。
(高等部秋季開始式 式辞)