玉川聖学院 中等部・高等部

いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える

いつまでも残るもの<br>~この時代の教育を考える

「他者との共生のために」

梅雨の鬱陶しい季節が続いている。格差社会の広がり、力による支配の現実、理不尽な戦争、そして政治的無関心と非寛容さ、社会全体が出口の見えない様々な課題に直面していることもあり、重苦しい空気に支配されそうになり、本来は将来への希望を語るべき教育の言葉を紡ぎ出すことの困難を日々に感じている。

そのような中、一冊の本が送られてきた。本校卒業生も著者の一人として加わった「日本におけるキリスト教フェミニスト運動史〜1970年代から2022年まで」(新教出版社)というタイトルの著作だ。大変興味深く読ませてもらった。自分にとって、今までのフェミニズム運動を整理して考える上で非常に参考になる書物だった。執筆者たちのパッション(情熱)とミッション(社会的使命感)が伝わり、啓発されるところの多い内容であった。自分にとっての当たり前が大きな偏見につながっていたことを知らされ、立ち止まって考える機会を与えられた。

現代は「共生社会を考える」ということが大きなテーマとなっている。障害者との関わりや異なった文化との接触、性的マイノリティの問題など、私たちに突きつけられている「多様性の受容の課題」は大きな問題だが、これらの問題の本質的な部分が、フェミニスト運動への距離感のとり方に表れているように思う。従来の伝統的な概念枠組みを、疑うことなく踏襲しようとしてきた社会の体質に対して警告を発し、批判的に事実を検証しようとしてきた運動の方向性は、これから先の世界の中での「共生」を目指すために欠くことのできない視点を提供しているように思えた。やや腰を引いて考えがちな自分自身の姿勢が問われている。

折りしも、キリスト教教育学会大会が開かれ、昨今の社会事情を視野に入れつつ、キリスト教教育が取り組む課題についての議論が展開された。宗教2世の問題が改めて問題となっている昨今の状況の中で、本当に子どもたちの存在が尊重され、その権利擁護の視点から、教育現場はそれを保障する教育を実践できているかが問われていた。
教育の方向性は、それは善意から出てくるものであるにせよ、パターナリズム(上からの押し付け)が横行していて、力による支配すなわち支配=服従の関係を作り出していないか、本当に子どもたちの成長の伴走者として寄り添うことが実現しているかなどが問われていた。

本来のキリスト教教育は、絶望の向こう側にある光を指し示すところに本質があるのだとすると、それはマイノリティの立場に立ってものを考え、感じ、行動する中でしか見えてこないのかもしれない。そうだとしたら私たちの教育にできることは、社会的に忘れられそうな人達との出会いの機会を提供し、その中で起こってくる心の変化を対話を重ねることによって明らかにし、子どもたちが自らの視点を広げていけるような「場の設定」にこそあるのではないか。

分断と孤立化に向かう社会にあっても、緩やかな連帯の可能性、人と人を繋げる働きの尊さに気づく心が育つように、支援を行なっていくことが私たちの使命ではないかと思わされた。そのためには前述の本の中にあるような、例えばジェンダーに関する自らが培ってきた考え方の負の側面に光を当て、それを修正することから始まるのではないかと思わされた。