10月に入り緊急事態宣言が解除され感染者数も減少してきた。今まで幾度かの経験から急激な行動変容は見られないが、社会全体が緩やかに動き出しているように感じられる。同じ過ちを繰り返したくないが、政治や行政はそれを受け止められるだろうか。
学校生活もようやく元に戻りつつある。生徒たちは10月末の修学旅行やキャンプ等を見据えて、十分な感染対策を施しつつ実施に向けて準備を重ねている。一年半も我慢し続けてきた生徒たちには、何とか体験を通しての学びを実現させてあげたいと心から願っている。
先日の保護者のための人間学講座と読書会も、対面形式とオンラインを併用しながら実施することができた。実施前夜の地震のために交通機関の乱れがあったため、オンラインでの参加者も多かったが、講座では合わせて40名ほどの参加者があった。やはり直接顔を合わせて伝えることができることの幸いを強く感じた。
午後の読書会では、入江杏編著「悲しみとともにどう生きるか」(集英社新書)を共に読んだ。あの「世田谷一家殺害事件」の被害者の姉である入江さんの呼びかけに応えて、柳田邦男、若松英輔、星野智幸、東畑開人、平野啓一郎、島薗進の6人の識者が、自身の喪失体験や悲しみとの向き合い方を語った講演録が収められている。一回の学び会では十分に消化しきれない、深く多彩なそれぞれの問いかけを受け取る時間となった。
私たちの社会は変化が激しく、情報が氾濫していて、あらゆることが流されて行く。そして一つ一つの出来事が、それが悲しみや痛みを伴うものであったとしても、時間とともにまるでなかったことのように消し去られる。激しい衝撃を伴う大きな悲しみすら、多くの人々が欲する「一つの物語」に変えて商品化し、消費尽くそうとする。しかし個々の「悲しみ」は決して癒えることはない。そのような社会に抗って、それぞれの悲しみとしっかりと向き合うことで、その闇の彼方にある微かな光を自分のものにしていくことの尊さを、識者たちはそれぞれの言葉で表現していた。コロナを含めて、今まさに起きている現象をどのように捉えて行くかを深く考えさせられた。
若松英輔さんが「伝えること」について語っていた「自分も誰かから与えられたのだから、それをここでせき止めてはならない。それを次の人に渡す。それが生きるということの大切な仕事なのではないか」という言葉が、とても心に響いた。
教育に携わるということは、私の中で熟成された言葉を伝えるという行為であると思った。自分自身に手渡されたものを手渡して行くという感覚がふさわしいかもしれない。かつて私が受けてきた良いもの、心の中で納得できた真理、魂を揺さぶった言葉、発見した「事実」や「真実」そして「光」を、自分の内側だけに止めず、大事な人たち、大切に思う人々に伝えていくことなのだと思わされた。
こうして再び一緒に学び合うことのできる機会が与えられていることは幸いな事だと思う。対面で語り合うとき、より具体的に実感を持って感じていることを伝えることができるような気がした。こんな学びの機会をこれからも生かしていきたいと心から思うことができた時間だった。