玉川聖学院 中等部・高等部

いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える

いつまでも残るもの<br>~この時代の教育を考える

「記憶の奥にあったもの」

先日、小学校時代のクラス会が行われた。本当に何十年ぶりかで会う旧友たちと懐かしい時間を共有した。6年間クラス替えのないクラスで育ったメンバーだったが、その後、全く会うこともなく長い年月を過ごし、久しぶりに再開したクラスメイトもいた。心の奥に眠っていた記憶が浮かび上がってくることを経験した。

驚いたのは仲の良かった友達の誕生日がいつであったかを、突如として思い出したことだった。当時、数人の友達と互いの家で誕生会を行なっていたことが記憶の底から蘇り、その日にちがいつであったかを、互いに言い当てることができた。何十年もの間、意識の底に眠っていた記憶が、互いの口から同時に出てきたことにびっくりした。幼い時の原体験は、記憶の深いところに留まるものだ。みなかつての記憶を思い起こしてよく喋りあった。とりわけ一緒に遊んだ記憶が次々に浮上してきて、楽しく心地よい夜を過ごした。

子どもにとって原体験がどのようなものであるかは重要なことだと言える。家族という安全地帯から一歩外に出て冒険したこと、自然の神秘や見知らぬ世界と触れて驚いたこと、そして何よりも同年代の子供達と共に過ごすことで得た発見や気づきなどは、心の奥底に記憶されていくことなのだろう。

最近気になっているのは、子どもの頃の「原風景」をいうものが変質してしまっていないか、自然の中での気づきが原体験から失われていないかという点だ。読書会で一緒に読んだ、絵本作家のかこ・さとしさんの自らの幼少期のことを記した「未来のだるまちゃんへ」という自叙伝的な本の中で、子ども時代に自然が教えてくれたことについて、こう書いている。
「子どもと自然の親和力というのは、実にみずみずしく奥深いものです。あの幸福な出会い、特別な結びつきをなんと言ったら良いのか。僕が、沼の主との一瞬の邂逅を忘れ難く思えているのも、そのせいかもしれません。僕は子ども向けの本など一冊も読まなかったけれども、幼少時、自然という巨大な本に日夜包まれ、その大きな書の恩恵を、存分に満喫、熟読していたように思います。子ども時代、すなわち人間という生き物の幼少期には、こうした自然と接して生活することが一番いいと思うのです。それも「大自然」ではなく「小自然」。小さい自然がいいのですね。・・・子どもの能力、力の範囲で処理できる小自然、これが子どもの力を伸ばすには最適なのです。」 (かこ・さとし「未来のだるまちゃんへ」 文春文庫)

現代の子どもたちが育つ環境の中で、自発性に基づく遊びが減り、子どもの工夫や個性を活かした体験も乏しくなっているように思えてならない。自分たちの子ども時代を思い返しつつ、今の子供の育ちについて考えさせられた。

又、旧友との語らいの中でもう一つ明らかにされたのは、誰もが劣等感や疎外感を経験した思い出を持たないことだった。そこには、一人一人の個性や特性を見つけてくれた担任教師の関わりがあったことを改めて気づいた。互いのダメな部分も知り合っていたはずなのに、思い出すのは誰がどんな点で優れたところを持っていたかであった。そしてその背後には担任からの励ましと承認を皆が共有していたが、あったのだろう。
体育や工作など苦手であった自分自身も、引け目を感じることなく、自己肯定感を保つことができたのは、愛と励ましの眼差しの中に置かれていたゆえであったことを改めて実感した。幸いな子ども時代を過ごさせてもらったことを改めて思い巡らすことができた夜だった。