玉川聖学院 中等部・高等部

いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える

いつまでも残るもの<br>~この時代の教育を考える

体験を経験化するために

8月15日の朝日新聞の「耕論」に、戦争をどう語り継ぐかと言うテーマで作家の奥泉光氏が、「戦争体験は有り余るほどあるのに、日本社会はそれを『経験化』出来ていない」と記していた。
アジア・太平洋戦争の中で起きた悲惨で目を背けたくなるような歴史的事実は、記録として数多く残されているのに、そのことをきちんと国民集団として共通の言葉にし、それを教訓として共有することが一度もなかったことを指摘されていた。

奥泉氏が国際基督教大学の恩師である並木浩一氏との対談形式でまとめられた「旧約聖書がわかる本」(河出新書2022年)はユダヤ民族の特殊性と共に、人間のあり方、社会・国家のあり方、そして神と人間の関係など、文字通り預言者的洞察力を持って語り合っていて、大変興味深く読んだが、旧約聖書の預言者の時代の社会と国家について、次のように指摘されていた。

「社会はいくつもあって、層のように重なっていて、時に対立しながら、対話を重ね共同性を作っていくしかない。しかしそれと国家は対立的で、対話的世界の理想には関心がないし、抑圧的になる。この時代からそうだったということがよくわかります。それが人間の世界なんだと悲観せざるを得ないけれども、しかし理想がわずかには残っていくのだと、希望も語られる。」

歴史をきちんと社会の中に位置付けていくことには不断の努力が必要なようだ。今年は関東大震災からちょうど百年目の節目の年にあたる。震災当日に起きた事実を語り継ぎ、教訓として社会のコンセンサスが作られてきただろうか。残念ながら、在留外国人の虐殺という事実について一部異論が出されたことを契機に、行政府の扱い方は検証を経ずに変更されたままだ。

この夏に読んだもう一冊の印象に残った本は、水島治郎著「隠れ家と広場」〜移民都市アムステルダムのユダヤ人(みすず書房 2023年)だった。「アンネの日記」で知られる第二次大戦中のオランダ・アムステルダムで起きていた事実を、丹念に掘り起こしてきたオランダの人々の努力を丁寧に紹介している。
歴史的に移民に対して寛容であった町が、ナチスの占領下に置かれていたとはいえ、それに迎合しユダヤ人10万人以上を強制収容所に送ってしまった。その歴史的事実について政府機関を代表して2020年に首相が謝罪したことが冒頭に述べられていた。占領期のオランダ人全般が、「罪ある傍観者」だったと言う見方が広がっているという。その歴史的検証の中から、厳しい弾圧の実態と、その中で勇気ある抵抗を展開した人々の姿が浮かび上がってくる。歴史を語り継ぐことの意味を改めて実感させられた。

個々の体験を経験化すること、それはまさに教育が担うべき役割でもあるだろう。真実は体験的理解の中からしか自分のものになっていかない。しかしその体験を経験化する過程で、価値観や歴史観が付随していく。そうだからこそ、きちんと自分で考え、疑い、判断する力を自分のものにできるように、良質の体験の場を提供すると共に、それが一般的な経験としてきちんと自分の記憶の中に位置付けられるように、対話的な関わりをしていくことが教育に求められているのだろう。戦争の記憶が失われるだけでなく、その事実の記録まで意図的に消し去ろうとする昨今の有り様に困惑する。預言者的洞察力を持って、次世代に大切なものを伝えていきたいと改めて思いつつ、この夏を過ごしている。