社会的にはコロナ禍もようやく収束の目処が見えてきたようなこの年度は、今まで控えられていた活動も再開されつつある。マスク越しにしか見ることができなかった生徒たちの表情が、少しずつ元に戻りつつあるように思われる。この3年間、様々な制約の中に置かれた子どもたちの育ちの課題をどう取り戻していけるのかは教育の抱える大きな問題であるように思う。
4月末に行われた体育祭は、生徒数を超える多くの保護者たちに見守られて、昨年同様国立代々木競技場第一体育館で行われた。イキイキと飛び回る生徒たちの姿を見ていると良い体験を重ねていることを実感させられる。また自らの原体験と合わせて親子二代で高3ダンスを体験した卒業生の感動も、確かな記憶として心に刻まれていくことだろう。昨年コロナ禍でも十分な感染対策を行なった上で体育祭を行えたことは、体験が引き継がれていくことにおいて意味が大きかった。生徒たちの会の運営も円滑に行われ、まとまりのある進行状態を見ることができた。計画・実行・評価・改善のPDCAサイクルがきちんと回っていることを示してくれた。学校行事の連続性は、私立学校の独自性を表す大事な宝だと改めて確認した。
この「体験を経験化していくこと」は、教育が担っている大きな課題と言える。個人の体験を一般的な経験の中に落とし込んでいくこと、自ら実感した原体験を振り返って整理をし、本当に必要なものを知恵として心に刻み込んでいくことは、人の成長にとって大事なことだろう。昨今は「今だけ」を楽しみ、次々に目新しいものを求めていく風潮が強い時代で、じっくり振り返ったり体験の意味を考えたりすることが疎かにされているように思われる。人間に与えられた知恵とは、生身の身体を通して得たものを社会や世界の法則や秩序の中にきちんと位置付けていくことなのだろう。学びとはそういう営みなのだろう。
5月の人間学読書会では、稲垣栄洋著『生き物が大人になるまで』(大和書房)を読んだが、動物の中でも本能ではなく知能を用いて子育てをする動物たちにとって、子どもが自らの体験を通して知恵を学んでいくことを支援することが、子育ての中心にあることが記されていた。人間にも通ずる動物たちの知恵が記されていることを、興味深く読んだ。動物園で人間に育てられたゴリラは、子育てができないと言われているそうだ。
「子育てを受けて大人になったゴリラが、初めてこの複雑な子育てをすることができるようになります。ゴリラの子どもは、ゴリラの両親に育てられて、初めてゴリラになるのです。子育てを通じて、子どもは「親」という存在を認識します。一方、親自身も子供を育てることによって親になっていきます。」
五感を通して獲得できる知恵や感性、行動を通して身につく意志力、これらが知情意の総体として心を育てていく。体験することは、どうしても必要な学習なのだ。それは学校生活を通して獲得される体験と机上の学びが統合されていくことによって、初めてリアルなものになっていくのだろう。バーチャル空間が現実世界のように見せられ続けている現代にあっても、良質な体験の場を提供していくことが、学校本来の在り方ではないか。今週は全校で学年ごとに、春の校外授業が実施される。宿泊等の経験の中から獲得できる知恵が、生徒たちの心を育ててくれることを期待している。