ウクライナで戦争が始まって1年近くが経過しているが、当事国のみならず社会がますます分断されていることを感じる。平和な社会であったはずの私たちの国も「新しい戦前」などという言葉が説得力を持つような状態になっている。しかし時代認識にも大きな断絶があるようだ。社会の孤立化が進み、人と人との繋がりが断絶し、敵味方に分けてものを考える二項対立の構図が、様々なところに見受けられるように思う。
少し重たい気分を抱えながら、若松英輔氏の「亡き者たちの訪れ」(亜紀書房)を読んだ。冒頭に「幸福論」を書いたフランスの哲学者アランの言葉が引用されていた。
「死者たちは死んでいない・・・しっかりとものを見、よく耳をすますがいい。死者たち
は生きようと欲している。あなたの内部で生きようと欲している。彼らの欲したものを
あなたの生命が豊かに展開することを、死者たちは欲している。」
死者の願いは生者に想い出してもらうことではなく、生者が死者と「協同」しながら充実した生を生きることだと著者は書いている。アランの言葉は、死者は、今ここにいる隣人であることを語っている。この本はここから死者が教えてくれる生者の生き方が書き綴られていく。
私たちの社会にある「死んだら終わり」というニヒリズムの考え方は、生と死に完全な分断をもたらし、生きている者同士の分断につながっていく。。読者会で学んだ長田弘さんの「歴史という縦のコミュニケーションを失った社会は未来を失う」という言葉が、よりリアルに個人的なものとして真実味を帯びて伝わってくる。
駒場の日本民藝館で柚木沙弥郎展が開かれている。100歳まで現役を貫いている染色作家で、布への型染めをはじめ、版画やガラス絵、絵本やポスターの制作など、意欲的な活動を続けてきた作家の作品を鑑賞した。美術史を学び、戦後柳宗悦の民藝運動に共鳴し、芹沢銈介に師事した柚木氏の作品は「作り出すより生まれ出てくる」色や形が表出していて大変興味深かった。名もなき人々が長い歴史の中で営々として作り続けてきた色や形が、一人の作家の手によって布地に表現されている。「民藝」とは多くの死者との対話により生み出した工芸品だと柳宗悦は語ったが、この国の人々により培われてきた人々の息遣いや感覚を、それに共鳴する作家が探し当てて作品としているのではないか、そのように感じられた。そして尽きる事のない創作意欲の背後には、過去と現在の人々の「協同」というものを感じているのではないかと思わされた。
人は人と出会うことにより人間になっていく。相互の関係性の中を生きるのが人間の特性であることを私たちは学んでいる。安心して相互に依存し合える存在をどれだけ持てるかが、その人の人生をより豊かなものにしていくことは間違いない事実だ。ケアの本質はそこにある。
この人間の持つ共同意識を分断しようとする力が、今強く働いている。人は愛されることで愛を知り、助けられた経験により人を思いやる心が育つ。乳幼児期のこの経験が人間の心を育てるのだが、どこでその人間性が奪われてしまうのだろう。死者を含めた人との繋がりの復権はどうしたら可能なのだろう。宗教が持つ役割と教育現場が持つ責任は今も大きいと思う。繋がりの幸いを体験する援助こそが、今教育に求められているのではないだろうか。