コロナ禍での3度目の夏が終わり、再び生徒たちの通常の学校生活が始まっている。キャンプや宿泊研修などの夏の諸行事も、直前の検査を実施しつつ滞りなく終了出来たとの報告を聞き、対面で経験を重ねていくことの幸いを思い巡らしていた。生徒の成長発達を第一に考えて送り出していただいた家庭の協力と、教職員の決断を頼もしくも感じている。教育の基本はやはり「関わりの中にある」ことを改めて考えさせられる。
9月に入り保護者読書会で天畠大輔著「弱さを強みに」(岩波新書)を読んだ。昨秋に一読して感銘を受けたので取り上げることにした。中学生の時に突然重複障害を背負い、絶望的な状況に追い込まれながら、家族や周囲の協力を得て学びを続け、紆余曲折を経ながら博士号を取得し研究者となった天畠さんの率直な記録だ。自分と同じような境遇にある障害を抱えた人たちが、社会との関わりの中で自己実現するための支援の道筋を考え、事業所や会社を立ち上げるまでの経緯が書き綴られている。
「弱さが強みになる」とは、マイノリティであるからこそ気づけることを「当事者研究」の成果として発信することで、社会を変えていこう、社会のリハビリを行おうという天畠さんの意志が、生き生きとした言葉と共に伝わってくる。それは試行錯誤を重ねる中で、考えて考え抜いた上に紡ぎ出された言葉に違いない。説得力がある。しかも声に出すことができないからこそ、言葉が響く。そして新しい視野を与えてくれる。(思いがけず参議院選挙に当選し脚光を浴びているが、これからの言動を注目していきたい。)
この夏以来、カルト問題について考える日々が続いている。カルトはもともと教祖を熱狂的に崇拝する新興宗教集団を指す言葉であったが、宗教に限らずある指導者の信念に共鳴し、それを頑なに信じて行動をする集団を指すようになった。冷静に判断すれば荒唐無稽としか見えない新興宗教や思想に、なぜ人々はハマってしまうのだろう。
背景にあるのは現代社会に横たわる孤独と人々の絆の断絶なのだろう。人々の心にある「何かに頼りたい」という思いは人間の本質的な欲求であり、人々が自分で考えることをやめたとき、気づかぬうちに自分で培ってきた判断力を失っていく。カルトは人々を思考停止状態に追い込み、外からの情報をフェイクニュースとして遮断して情報を操作していく。次第にカルトの価値観にハマり、被害者が加害者化していく過程を辿っていく。プーチンの支配するロシアもトランプ時代のアメリカも、カルト化された社会のように見えてしまう。人々が考えることを辞めたとき、社会は恐ろしい方向に引きずられていくのだろう。
このような思いを持ちつつ「カルト化する社会」と題して、高校3年生に特別授業を行った。ネット社会に見られる対話の崩壊、性急な答えを求める社会的風潮、効率主義が重んじられた「待てない時代」の影響、正解のみを教え込み自分で考えることを放棄させ、宗教の提示する人間の本質を見つめる心の在り方を忌避してきた教育の責任などについて語り、クリティカルに考える事の大切さを提示して、後の生徒たちの討論を聞いていた。短い時間の中で活発に論じ合い、授業者への疑問や批判を含めて、自分の考えを述べあっている姿を垣間見た。ここには「考える事」の愉しさを見出している生徒たちがいる。さらに上級学校に進学して、この資質を伸ばしてほしいと心から感じた。