今年1月に、これからの教育の在り方について中央教育審議会からの答申が出された。「令和の日本型教育の構築を目指して」と題された答申の表題として、「全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと協働的な学びの実現」との文言が掲げられ、今後の教育の方向性が示された。折しもコロナ禍にあり、日常の学校生活が脅かされている中で学校教育の本質はどこにあるのかが問われているが、求められる教育の在り方が明らかにされたといえよう。
もともと以前から、急激に変化する時代の中で子供たちが育むべき資質・能力として、今回の学習指導要領で提示されている読解力、表現力、納得解を生み出すことが課題とされていた。これからの時代は「自ら考える力」を身に着けていくことにより、自己肯定感などを育成することが勧められていた。今回の答申では、具体的な教育方法として、学習者である生徒に対して「個別最適な学び」を提供すること、すなわち従来の集団に対する一斉一律主義の「教え込む学習」から、生徒がそれぞれの興味関心に応じて、「生徒が主役」である主体的に学びに参画し、思考力、判断力、表現力を身に着けていく自発的な学習への転換が図ることが求められている。パソコンを個別の文具として授業へ導入することなども強調されている。
答申では、従来の日本型学校教育の特徴は、学習機会と学力の保障とともに、生活指導を含めた生徒の全人的な発達・成長を保障することと、学校という場所が心身の安心・安全の居場所であることが確保されていたことにあったと論じている。
学校生活では人と関わることで集団生活を維持していく。子どもたちは互いに少しずつ我慢したり力を出し合うことで、「自我の調整能力」を学んでいる。社会性や道徳性はこうして養われていくが、AI時代が到来したとしても、人とのかかわりを学び、協働して生活を改善し、共に目標を達成する協働的な学びの重要に変わりがないことが指摘されている。コロナ禍でこの部分の欠落が懸念されていた。
さらに日本型教育においては、学校が安全な居場所であることも強調されていた。健康の保持をはじめ、心身の健康が学校という場所で維持されてきたという認識は、重要な指摘であろう。本来的にそれを担う家庭や地域社会の揺らぎは、学校の役割をさらに高めているように思われる。
答申は大きな社会変動の現状を踏まえつつ、教育方法は変化しても、従来の学校教育の果たしてきた役割をさらに強化することが書かれている。「働き方改革」の中に置かれている教員に、さらなる責任と重荷を負わせようとしているように思えてならなかった。さらなる研修の必要性が書かれているが、危惧で終わればよいが、廃止が決まった「免許更新制度」に代わる別の何かが出されてくるのではないかという懸念を持つ。現場に責任を負わせすぎのような気がした。
とはいえ、子供たちの日常が「学校生活によって成り立っている」事実は、決して疎かにしてはならないだろう。その日常が奪われているコロナ禍の現状に対する危機感を社会はどれほど共有しているだろうか。1年半続いているこの現象がもたらす負の影響は、大きな発達上の課題として今後も浮上してくることだろう。
今、それぞれの学校で何とか「学校生活の醍醐味である行事」をどのように提供できるかが問われている。本校でも夏の行事に続いて、まだ緊急事態宣言下での「学院祭」を、何とかできる形で行うことが計画されている。おそらくそのような試みをどのように実施しようとしているのかで、学校の教育への姿勢が明らかになっていくように思う。今年ならではの学院祭を生徒たちの手で実現できればと願っている。