玉川聖学院 中等部・高等部

いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える

いつまでも残るもの<br>~この時代の教育を考える

教育の言葉を紡ぎ出すために

 新型コロナウイルスの蔓延は、社会のあらゆるあり方に影響を与えている。そして非日常が続くうちに私たちはそれにも慣れてしまい、自粛と経済の再開の狭間で、今後のあり方に困惑しながらカウントされる新規感染者数の情報を日々に知らされ続けている。少し立ち止まって、今後の教育のあり方について考えてみたい。

 学校の一斉休校要請から始まった今回の混乱の中で、教育の言葉はどれくらい社会に発信されそれが受け止められてきただろうか。入学時期の変更という政治的な発言から始まった混乱や、分散登校とか感染症対策を踏まえた学校の再開などというニュースは流されたが、果たしてこの数カ月間に背負った子どもたちの心の変化や影響について、どれほどの注目が集まっているだろう。日本小児科学会は5月中に「学校閉鎖は単に子ども達の教育の機会を奪うだけではなく、屋外活動や社会的交流を減少させることとも相まって、子どもを抑うつ傾向に陥らせている。」と警鐘を鳴らしていたが、学校再開によってこの懸念は払拭されているだろうか。教育を受けるという子ども達の権利を、社会はどれだけ保証しているのだろう。

 しかし現実問題としては、ようやく全面再開された学校生活においても、社会的距離(ソーシャルディスタンス)をとることが大前提となるルールの中で、学校教育に期待されている「体験を通しての達成感」をどのように確保できるかは大きな課題となるだろう。
 今までの期間、授業に関してはオンライン授業をいち早く実施することで、本校を含む私立学校の多くは十分な学習機会を提供できた。私の担当している幾つかの大学の教職課程でも、オンライン授業はすぐに始まり今後しばらく継続される(すでに秋学期も継続されることが報告されている)。授業の準備時間は対面式の授業の3倍くらいかかり、提出課題の処理や授業のフィードバックのための事後チェックにも相当な時間を要することに気づいたが、それ以上に自分の発している言葉の有用性の有無について考えさせられた日々だった。目の前に学生のいない授業では「言葉のみが頼り」となっていた。

 今後の教育の中で「体験的な学び」をどのように構築していくかは大きな課題だ。従来の考えでは、体験を通してでしか伝わらない達成感や連帯感があり、異なった文化や世代との出会いの「場の提供」をすることが教育的な課題であり、知識注入型の学習から問題解決型学習に転換する方法として、体験型学習の場を設けることを大事にしてきた。私学の特徴はここにあった。
 この意味は非常に大きく、今後の目指すべき方向としては変わらないだろう。しかし体験の場が制限され、ソーシャルディスタンスをとることが要求される中で、生身の人間関係、とりわけ人間本来の成長にとって欠くことのできない「身体性に基づく関係性の作り方」をどのように構築できるかは、まさに教育の大きな課題となるだろう。

 閉ざされた非日常を経験する中で気づいたことは、人に伝わる言葉を紡ぎだすためには、目の前にいない相手とも本気になって「対話」することを意識することからしか始まらないということだ。言葉を通してでしか伝えられないとしたら、言葉に全神経を集中させて伝えようとし、相手の言葉を聞こうとすることだけが、今できることなのかもしれない。電話の向こうにいる人を思い、オンライン授業を受講している学生を思い、応答する言葉や文字に想像力を働かせる、そんな営みの延長線上に、新しい可能性が生まれてくるのかもしれない。再開された学校生活の中で、新しいルールを守ることにまして、新しい対話が生まれていくことを心から期待したい。