今年も榛名クリスマス訪問が行われた。39回目のキャロリングが新生会の各施設で行われた。中学3年生から高校3年生まで43名の生徒たちの歌声が、病院や高齢者施設におられる方々の心に届けられる光景を、私は格別な思いで喜びをもって見守ることができた。新生会のスタッフが、引率をしていた教師たちと同じような表情をしながら、生徒たちと入居者との交流の場面を嬉しそうに見ておられたのがとても印象的だった。いつもながら、「開かれた施設」の中にある温かい空気に触れることで、心が温かくなる体験をさせてもらった。
今年の3月で中高の現場を離れた私は、今まで40年以上毎日の礼拝ごとに聞いていた生徒の賛美歌の歌声を聞く機会がなくなった。久しぶりに身近にその歌声を聞くと、自分でも思って見なかったことだが、今まで気づけなかったことに気づくことができたように思えた。それは中学生・高校生の歌う声の響きが持つ特有の空気だった。そしてその響きは、聞く者の心の奥にある原風景を呼び覚ます力の持っているということだ。私も中高生の歌声の持つ魅力に新鮮な驚きを感じたが、この感覚は今まで感じていなかった感覚だった。
そして同時に考えた。おそらくこの声を聞く入居者の方々は、ご自分の若い時代に過ごした懐かしい場所や人々、風景や友達たち、学校や育った故郷などが、生徒たちの歌声とともに蘇ってくるのではないか。中高生が力一杯歌っているエネルギーは、たしかにプロの合唱団や大人の合唱とは異なった何か、自分の心の中に潜んでいるものを引き出していく力を持っているのではないかと感じたのだった。今回の訪問でどの交流の場面でも、明るく温かい魂の出会いがあちこちで起こっているようだった。世代を超えて同じ時空で出会っているような機会となっていたからなのかもしれない。
キャロリングの途中、ある認知症を患う80代の女性たちが暮らす施設で、生徒たちが「きよしこの夜」を歌っていた時だった。日常的には3分前のことも忘れてしまうある方が、まるで少女に戻ったような顔つきで、生徒たちの賛美に声を合わせて歌い出したのだった。年齢からいうと、戦後まもなくの頃の記憶だったのだろうか、新しい時代の風の中で歌ったクリスマスカロルが、心の奥底から湧き上がっているようだった。「きよしこの夜、み子の笑みに、恵みのみ代の、あしたの光、輝けり、ほがらかに・・・」最後まで歌いきった彼女の姿を見ていると、ここに救いの御子が来られていると感じさせられた。
震災直後のことなど、もう忘却の彼方になってしまったように色とりどりのLED電球が点滅している東京の街とは異なるクリスマスを、今年も生徒たちと過ごすことができた。39年の間、手渡され継承されてきた玉川聖学院のクリスマス訪問が受け入れられ継続できたのは、このような喜びを榛名に住む方々と共有できたからなのだということを、あらためて実感したクリスマスの体験だった。
「地の上に平和が御心にかなう人々にあるように。」