玉川聖学院 中等部・高等部

いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える

いつまでも残るもの<br>~この時代の教育を考える

語り合う力を身につける

先週末にPTA委員総会が開かれた。一年間、委員として学校と保護者の協力関係を進めてくださった委員の方々が集まり、一年の締めくくりの議事を行うとともに、各学年主任から生徒たちのこの一年の歩みについての報告がなされた。中1から高3までどの学年もそれぞれの発達段階に応じた課題に遭遇しつつ、それと向き合うことで成長していく様子を全体として確認し共有することができた。6年分の成長を互いに鳥瞰できた幸いな時だった。まるで皆で人間学の授業を受講しているような時間を過ごした。

学校という場所は、人と人が共に生きていくことを体験し、そこから様々なことを学んでいる場所を言えるだろう。学校の役割は生徒たちの成長につながるような体験の場を提供すると共に、共通体験を通して学び得たものを確認し、その経験が身につくように振り返りの機会を提供することが求められている。

最近、暉峻淑子氏の書いた「対話する社会へ」(岩波新書2017年)を読んだ。著者は1928年生まれと記されているから90歳になるのだろうが、大変若々しい文章で刺激的な内容であった。近年この国と世界の中で起きている現象を憂いつつ、民主主義社会が健全であるために、「対話」の復権を訴えかけている力作だった。人が人間になっていくために、人が他者と共に生きていくために、どれほど「語り合いこと」が必要であるかをわかりやすく解説してくれる。対話を失った時に起こる恐ろしい出来事を危惧しつつ、対話する社会を個人から作り出すことを訴えていた。帯に記載されている冒頭の「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話です」という言葉は、一貫して主張されている彼女のメッセージだった。

もう一冊の本は、植島啓司氏と伊藤俊司氏の対談形式で書かれた「共感のレッスン」~超情報化社会を生きる(集英社2017年)だ。情報が飽和状態にある現代が抱えている課題を、「生身の身体が共感する」という視点から再構築しようとする意欲的な試みだった。「わたし」と「あなた」がどのようにつながっているのかの免疫学、人類学、宗教学など様々な知見からの考察は、十分に理解するには難解な部分もあったが、新しい視点を得られるような内容だった。ここにも世界は決して「私ひとり」単独ではあり得ないことが示されていた。

この先、いくら人工知能が進化したとしても、覚える力や確率を導き出す力は人間に取って代わられるとしても、「感じる力」「考える力」は決して機械には代替できないだろう。この力は人が人と出会うことによって養われていく。現実としては人間に出会っていく力が劣化していないか心配であるが、少なくとも本校の生徒たちは、毎年学校生活や行事、友達との交流や学びの機会を通して、語り合う力を「出会い」を通して身につけていることを、一年間の変化の報告から再び確認できた。「体験を経験化していく教育」を続けていく限り自尊感情が育成され、他者と語り合う力を通して、世界とつながることが可能であることを確認した。