春の校外学習の1週間が終わった。雨天や交通渋滞はあったものの、各学年で計画されていた校外学習を無事に終了することができた。私は今年も初めてのキャンプであった中学1年生と最後のキャンプであった高校3年生のキャンプの様子を見ることができた。毎年感じることだが、このような体験を積み重ねることで、関係性は次第に深まっていくのだろう。生徒たちの同士の出会いの場所を提供することが、学校教育の責任なのかもしれない。
学校で行われる宿泊行事というものは、後になっても覚えているものだ。自分自身の体験でもそうであり、卒業生たちの経験の中にもそれが語られる。同じプログラムで行われるキャンプも、その年その年の思い出が個別的でユニークなものだ。担任教師として関わるという経験も、とりわけ学年行事には特別な意味合いがあるようだ。今年も高校3年生のキャンプでは、今までの高校生活を振り返り、今自分が置かれている場所を確認し、これから卒業に向けての決意を語り合う時間を持った。互いを信頼し合いながら、自分の心の中に積み重ねられてきた今までの自分の財産を語り合う姿は、圧倒的な友達の存在感を共有し合う素敵な時間だ。互いの存在を受容し合う時間となった。
先日、大学教職課程の講義で、「節目を作る特別活動」について学ぶ時間を持った。現場の実感として、生徒の成長のプロセスでは節目ごとに成長していく姿が心に焼き付いていることを語った。行事や式典はその節目を作り、立ち止まって振り返ることが、自分を確認してさらに歩みを続けていく原動力になっていくことを講義した。残念ながら自分の原体験の中で、そのような「振り返る経験」を持たずに来てしまっているとの気づきを持った学生も多くいた。教育現場ではそのような機会を提供しながら、生徒にその意味づけを確認していく必要があることを学生に語った。
忙しい毎日を送っていると、この立ち止まって振り返る時間を持つことが疎かになっていく。毎日の生活でも、区切りの時期や季節でも、時の流れに乗るように時間に流されていく。沈黙の時間を埋めるような情報や音や出来事が周囲に満ちていることで、孤独な自分を経験することなしに毎日を過ごす。それ故に心が枯れていく感覚までもが失われていく。大人社会の危うさは生徒たちをも取り囲んでいる。
改めて礼拝から1日が始まり、終礼で1日を終える学校生活の意味を考えさせられる。入学式で始まり卒業式で終える限られた学校生活の意味を問われる。節目ごとに振り返ることで、「友がそばにいることの幸い」に気づいていく生徒たちの気づきと感性を大事にしたい。終わりに向かって限られた時間を意識し始めている高校3年生たちにとって、悔い残らぬ学校生活を保障するよう、心からの支援の手を差し伸べたいと願わされた。