横浜の「みなとみらいホール」で行われた今年の音楽会も無事に終わった。中高合わせて21クラスの合唱と個人演奏を、互いに聴き合う幸いな時となった。大変響きの良いホールで、舞台の上で発せられるひとりひとりの声が、綺麗に聞き分けられる音響の良さに驚いた。クラス全体がどのように声を響き合わせようとしているのかが、良く見えてくるような気がした。勢いだけでは完成することのできない合唱の奥行きの深さも垣間見る思いがした。良質の音楽が奏でられるためには、良質な環境が必要であることを改めて実感できた。
音楽会はステージと観客席で一緒につくっていくものだ。客席の緊張感がステージの発表力を引き出していく。上級生たちの誇りを持った合唱に引き込まれていく中学生たちの姿も印象的だった。このようにして学校行事の伝統は、人から人に伝わっていくのだろう。
話題の恩田陸氏の小説「蜜蜂と遠雷」は長い小説だが、大変興味深く一気に読んだ。氏の表現力の豊かさに圧倒された。音楽コンクールでの舞台演奏が主題となっているが、読んでいるうちにラヴェルやグリーク、ショパンやラフマニノフの音楽が聞こえてくるような作者の「言葉の力」を強く感じた。音楽コンクールという極限状況の中で繰り広げられる登場人物たちの人間ドラマが、立体的に見えてくるような臨場感をも感じた。競い合う中に響きあうコンクールの独特な世界を心地よく読むことができた。ひとつの道を究めようとする人間の営みは、人間のみに許された創造性と想像性の産物なのかもしれない。人間の持つ可能性について考えさせられた。
生徒たちの音楽会は音楽コンクールとは違うものだ。確かにどのクラスも学年1位になることを目指して練習を重ねてきたが、やはり互いに楽しみ合うという精神に満ちていた。突出したライバル意識も、比較して優位に立つことを皆が望んでいるわけではない。互いに精一杯歌い上げることを目標とし、努力してきた成果を共に称え合う場になっている。
自尊感情とは、他者との比較の中から生まれるものではないのだろう。この私達の存在そのものに誇りを持てることが大事なことなのだ。音楽会でそのような空気を感じることができたことが非常に嬉しく思えた音楽会であった。本当に良かった。
私たちにできることは、良いホールには良い音楽性を引き出していく力があるように、生徒たちの心が動き出すことができるような「場の設定」をすることなのだろう。教育現場でなければできない「場の持つ教育力」をどのように作り出すことができるのか、ますます知恵が必要な時代となっているように思われる。