九州では集中豪雨のための被害が出ているが、東京は連日真夏の暑さが続いている。先日、玉川聖学院谷口ホールを会場として第33回教会音楽会が開催された。私も会場提供校として参加させてもらったが、カトリック教会とプロテスタント各教派の教会の聖歌隊などが集まり、共に賛美するひと時がもたれた。
今年はマルチィン・ルターによる宗教改革が開始されて500年目の記念の年に当たるが、世界が分裂と対立の状況にあることへの憂慮も影響してか、キリスト教会では分裂から交わりに目が向けられ、合同で平和の発信の機会ととらえた企画が各地で行われている。この音楽会は当初から合同を意識した試みとして始まったようだが、キリスト教学校を会場とすることで、さらにキリスト教会が平和へのメッセージを伝えられる機会となったように思われる。
確かに世界は対立と争いに満ちている。一国の大統領が隔ての壁を作ることを公言し、自国に利益のために公益の壁を作り、国を守る目的で軍事の壁を高く築こうとしている。ローマ法皇は平和のために「橋を架けること」を提言しているが、政治家たちは力づくで自国の主張を通そうとして、人々は翻弄されようとしている。
音楽会の冒頭で参加者は司式者の「今、多くの人々が利権や分配の問題、人種や民族、文化や言語の違いによって生まれる問題を『あなたによる平和』によって乗り越えるのではなく、かえってそれを差別化し、その利権を自分たちに向けようとしています。その結果『人間による支配』が世界を包んでいます」との言葉と共に、チャントの形式で「神様、罪人の私を憐れんでください」と罪の告白が歌われた。この音楽会は心を一つに~争いから交わりへとのタイトルが付けられていたが、困難な時代だからこそ私たちは市民のレベルで自分ができる様々な方法で平和へのメッセージを語る責任があるのではないかと思わされた。
期末試験が終わると今年も夏休みになる。生徒たちに様々な体験の機会が待っている。宿泊行事や体験学習を通して、生徒たちが若いうちに自らの感性を磨いて、人とかかることの幸いを具体的に味わってほしいと願わされている。外に出て行くことは、いつでもどこでもリスクを伴うものだ。テロや自然災害、犯罪や事故など、心配したら外に出られない危険が満ちているのかもしれないが、橋を架けるためには道の反対側に渡って走り寄ったあのサマリア人のように、道を横切ってでも現実に近づこうとする姿勢が必要なのだろう。この夏に多くの生徒がそれを実践してくれることを嬉しく思っている。彼らの安全と素晴らしい体験談を聞くことができるように、心からの祈りを日々に積み重ねていきたい。