精神科医であり作家である帚木蓬生氏の「ネガティブ・ケイパビリティ~答えの出ない事態に耐える力」(朝日新聞出版)を読んだ。
タイトルに惹かれて手に取っているうちに、内容に引き込まれていた。冒頭に著者は記している。
「私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています。むしろそのほうが、分かりやすかったり、処理しやすい事象より多いのではないでしょうか。だからこそ、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくるのです。私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての創作活行為も、随分楽になりました。いわば、ふんばる力がついたのです。それほどこの能力は底力を持っています。」
ここで著者が言うネガティブ・ケイパビリティとは、「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」と記していますが、この能力は宙ぶらりんに踏みとどまれる「待つ力」「耐える力」「深める力」を必要とする。正解を教え込もうとする「教育」が不得意としている能力なのかもしれない。しかし、人間の奥行きを知り、文学や芸術を可能にし、人間を理解するためには本当に必要な能力であることが強く伝わってきた。
先日の人間学読書会でも「わかる」ということについて学んだが、私たちはいつの間にか「分かったつもり」になってしまっていて、底の浅い理解に終始して、大事なことを忘れてしまっていないだろうかと考えさせられた。文学や芸術を豊かなものにしたのは人間の不可解さへの探求の眼差しであり、絶対に理解し得ない他者の悲しみに共振できるのは、自らの内側に深い悲しみを抱えている者であり、知を愛する者とは到達し得ない高みがあることを知っている者なのではないか。
精神科医である著者は、正直に自分の限界の中でそれでも患者に寄り添う医療を展開するために、このネガティブ・ケイパビリティの必要を説いている。それは教育の世界でも通ずる真理だと思われた。とりわけ、効率主義、成果主義に覆い尽くされている教育の世界において、本当に一人ひとりの生徒の尊厳を守り、人格を育んでその成長に寄り添う「人間教育」を目指すのであるなら、この奥行きと多様性、不透明感と混沌に踏みとどまる覚悟と信念がどうしても必要だろう。
現代社会では圧倒的に大量の情報に囲まれていながら、いち早く自らで問題を設定して、その正解を素早く導き出す能力のみが求められている。簡単には解決できない問題の中に「踏みとどまる勇気」を子ども達にどのように伝えていくのか、本当に私たちの対応能力が求められているように感じている。