玉川聖学院 中等部・高等部

いつまでも残るもの
~この時代の教育を考える

いつまでも残るもの<br>~この時代の教育を考える

語り合う力

今年の元旦の新聞(朝日新聞2018.1.1)に掲載された岩波書店の全面広告のタイトルには、「もっと対話を」という大見出しが付けられていました。書かれていた文章を紹介しましょう。

「「分断」と「壁」が、いつの間にか、時代の言葉になりました。「壁」の両側で人は「壁」を越えられず、越えようともせず、閉塞し、ただ感情的にお互いを罵りあっています。その対立は、ときとして、暴力や紛争を引き起こします。

不足しているのは、対話です。コミュニケーションです。コミュニケーションは、言葉です。いま、世界に圧倒的に足りないのは、言葉です。

自分たちだけに通じる言葉ではなく、異なった国、異なった考え方、異なった価値観を持つ人びとと、壁を越えて話し合うこと。それが対話です。一方的な命令や通達やつぶやきではなく、互いを尊重し、理解し合おうと言葉を交わすこと。それが対話です。・・・・」と書かれていました。

みなさんは、この「対話力」をどれほど身につけてきたでしょうか。「世界に圧倒的に足りないのは言葉です。」と語られて、戸惑ったかもしれません。こんなに言葉が溢れている世界で、情報が氾濫し、つぶやきが公然と人前に出され、いままでは隠されていた悪意に満ちた攻撃的な言葉が飛び交う中で、「言葉が足りない」という指摘にはハッとさせられます。

筆者のいう「言葉」とは、きちんと「やり取り」の続けられる人格的な言葉を指しているのでしょう。私たちは「語り」「聞く」というキャッチボールを繰り返せる言葉を、どれくらい磨いてきたでしょうか。自分と異なった考え方、世代、環境、文化の中にある人と、どれだけ真摯に「対話」を重ねるという体験を持つことができたでしょうか。

人と人の関係性が断絶してしまったかに見える世界に橋を架けていくために、他者とのコミュニケーションをとっていくのに必要なのは、やはり「言葉の力」といえます。人は自分が語る言葉によって変わっていくと言われます。自分が語る言葉によって関係性が改善され自分が「高められていく」「開かれていく」「広げられていく」「純化されていく」のも事実です。だからもっと「自分の言葉」を大事にしなければならない。対話は自分の言葉を磨くための大切な訓練の場と言えるかもしれません。ディベートのように相手を打ち負かすための言葉ではなく、文字通りダイアログ(dialogue)、お互いの持っている「真理のかけら」をつなぎ合わせるために対話を重ねていくことは、大事なことと言えるでしょう。

対話の前提となるのは、相手のことをわかろうとして、相手の言葉に耳を傾けること~「聞く力」を養うことの中にあります。私たちの時代は、情報を入手する力は比較できないほど豊かに持てるようになったにもかかわらず、相手その人を知ろうとして、分かろうとして、相手の言葉を「聞き取る能力」は、随分劣化してしまったのではないでしょうか。対話するために皆さんに勧めめたいのは、「相手の人格に触れる言葉」を聞き取る訓練を重ねていくことです。

学校生活の中には、この「聞き取る能力」を養うチャンスが数多く提供されています。毎朝の礼拝の中で、授業を通して、数々の出会いの中で、行事や活動の中で、この聞き取る能力を養っていってください。それと同時に、ただそれを鵜呑みにするのではなく、自分の心で確かめようとすること、考えること、思い返すこと、そして疑問などを投げ返すことを通して、対話する力を身につけていってください。学校はその意味で安心して失敗のできる場所です。「語り」「聞く」という営みが繰り返せる場所なのです。

いま、私たちが生きている世界の中には冒頭の文章にあったように、感情的にお互いを、他国を、罵るようなことを繰り返している状況があります。メディアの中でも攻撃的な言葉飛び交う大変危うい社会状況があるように感じます。けれどもこの学院で学ぶ皆さんは、落ち着いて日々を過ごし、毎日の生活の中で「良い言葉」を紡ぎ出し、人と人を、世界を繋いでいくために、互いを尊重しつつ積極的な関わりを探求し続けていってほしいと願っています。この年がさらに充実した年となるようにと期待しています。

(高等部 冬期開始式 式辞)