新宿のSOMPO美術館でユトリロ展が開催されている。若い頃に非常に気になった画家の一人だった。数奇な生い立ちを背負い、心の奥深くにある想いを満たされぬままアルコールに依存しつつも、哀愁漂うパリの街並み、白く塗られた外壁の特徴的な建物を描き続けた画家だ。訴えかけてくる無言のメッセージを聞き取ろうとして佇んでいた過去を思い出した。喜怒哀楽を全て塗り込めた白に強い印象を持ったことを記憶している。
「ユトリロの白」は非常に特徴的だ。建物の壁を表現するため、漆喰や石膏や砂などを混ぜて厚みを持たせ、そこに住む人々の生活感を引き出している。絵にはほとんど人物が登場しないだけに、余計にパリ裏街の空気が伝わってくる。梨木香歩さんの絵本『ペンキや』(理論社)の中で、ペンキ屋のしんやが「ユトリロの白」に塗って欲しいと依頼される場面が出てくる。
「そう喜びや悲しみ 浮き浮きした気持ちや 寂しい気持ち 怒りやあきらめ
みんな入った ユトリロの白 世の中の濁りも美しさもはかなさも」
こんな白を描ける画家は他にいるのだろうか。年を経て久しぶりに見るユトリロの絵画に、今回かつてとは異なった印象を持つことができた。若くして過酷な現実と向き合わされた故に見出した世界を、静謐さを持って描こうとしているユトリロの心眼。悲しみに満ちたこの街を、それでも自分の心の居場所であると見据えて、独特の表現で表そうとしている。痛ましいまでの愛着が絵の中から伝わってきた。同時に、その後ユトリロは愛するパートナーと出会うことにより画風が変わり、精神的にも落ち着き、描く世界に色彩が広がっていく過程も見ることができ、救われるような思いもした。
ユトリロの白を見ながら、日本画家の奥村土牛の描いた「雪を被った富士」の絵を思い出した。かつてNHK特集で「百歳の富士」という番組を見た。土牛さんの絵画制作の場面を思い出す(You tubeで今も見ることができる)。刷毛を使って何度も絵の具の薄塗りを繰り返す。時には150回も色を重ねていくと、全体が薄く透明に見えるという独特の技法を用いている。富士を描き続けた奥村土牛は、自らの理想を求めて百歳まで描き続けていた。純粋な魂が描き出す美の世界を見ることができる。
芸術作品は私たちの想いを多様な別世界へと誘ってくれる。観る者の状況に応じて多彩なメッセージを伝えてくれる。身近な所で、たくさんの作品と出会う場が与えられている私たちは幸いだ。錆びついてきたように感じる自分の想像力を働かせ、見たり聞いたり触れたりできる豊かな世界を味わい続けられたら幸いだ。様々な危機が迫ってきているように感ずる昨今だが、この豊かさを皆で共有できる世界であり続けられるようにと、祈りたい。