今月初めに昨年1年間に生まれた日本の子ども数が68万6千人で、初めて70万人を下回ったことが厚生労働省の調査で判明した。東京都では一人の女性が産む子供の数の指標となる合計特殊出生数が、0.96と一人を割り込んでいることが明らかになった。少子化の傾向は想定より遥かに早く進んでいる。結婚件数も50年前は年間100万件を超えていたのが、昨年は48万件にまで減っている。少子化への懸念は以前から語られているが、社会全体の縮小は現実味を帯びてきた。私立学校の存在価値もますます問われていくだろう。
少子化の原因については、失われた30年といわれる社会の停滞による格差の拡大や貧困化、モノや情報に親和性を感じて人との密接な関係性を結べない育ちの在り方など、識者たちは様々な説明をしている。人間同士の繋がりの希薄化が進んでいることは確かに原因の一つだろう。社会構造の変化により女性の就労の急激な拡大が、少子化に拍車をかけているように見受けられる。
しかし高度経済成長期の家族モデルをそのままにしながら女性の就労を求めるのは、あまりに女性への負担が大きすぎる。介護も同じだが、母性神話や三歳児神話などという、育児への責任を女性だけに負わせ、不安と恐怖心を煽る風潮が残っている限り、そして子育てを自己責任として個人の力量に帰してしまうあり方に、子どもを育てるエネルギーが減じてしまうのは当然だろう。人は人との関わりの中で育つという人間本来のあり方から逸脱した社会が、結果として少子化を招いている様に思えてならない。
今月の読書会で取り上げた篠原郁子著「子どものこころは大人と育つ」(光文社新書)の中に、子どもの育ちについて、大人と安定したアタッチメント(愛着関係)を持つ子は、安心感と安全な避難所を持つことにより自律的な行動を取れるようになっていくと記している。その際、母親との結びつきだけが重要視されてきた乳幼児期の関わりを否定し、
「アタッチメントは親子、ましては母子に限定されるものではありません。・・・
子どもの育ちは、親、あるいは家庭だけでなく、幼児教育・保育、学校、地域や
社会でみんなが関わっていくものへと変わってきています。アタッチメントの研究
対象も実際に広がっていて、子どもはいろいろな大人との間にアタッチメント関係
を持つことが示されています。」
と語り、大事なこととして大人が子どもにできることは、社会的認知能力を授けるのではなく、子どもが人間として備えられた力を発揮できるように、「心で心を思うこと」(メンタライジング)を実践し支援することだと記している。ここには子どもの人格を尊重することと、その子の思いを心でわかろうとして、大人が各自の役割分担を果たしていく必要性が語られている。
少子化を食い止めるためには、社会全体が互いを尊重し合い、助け合い、子供達の育ちのために心を響かせ合うことが必要なのではないか。もういい加減、生産性のみを重んじた結果としての自己責任の束縛から解放する事が必要ではないか。明日に希望を持てる社会でなければ、この流れは止められないことを懸念する。教育はその最前線に立たねばならないのだろう。