玉川聖学院 中等部・高等部

帰国子女入試合格発表

礼拝のことば
~心を耕し、磨く

礼拝のことば<br>~心を耕し、磨く

渇くことのない水

イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
ヨハネの福音書 4:13,14

今年も国内外に多くの犠牲者を出した先の大戦を振り返る季節になりました。私は今年も高等部の生徒19名とともに広島平和研修に参加しました。原爆資料館の見学、広島女学院主催のピースフォーラム参加、広島流川教会訪問、8月6日平和祈念式参加、広島沖の似島訪問、そして再び広島女学院の生徒の皆さんの案内で平和公園とその周辺を巡る碑巡りなどプログラム一つ一つが、とても意味のある貴重な学びの機会となりました。広島女学院でのピースフォーラムでは、祖父がベトナム戦争の反戦運動に関わったというハワイの高校生のプレゼンテーションとガザの高校生たちからのメッセージのインパクトが大きく、平和祈念式では今年も子ども代表として小学6年生の2人が堂々と述べた「平和への誓い」に大いに心動かされました。

似島には当時国の検疫所があり、軍医さんがいたため、被爆者の方々が生き残るために希望を託して船で押し寄せましたが、残念ながら1万人以上の人々が力尽きて亡くなったと言われています。平和祈念式前に行われた献水の儀式に集められる17ヶ所の水の一つを提供しているという井戸も見学しました。もはや助からないと分かっている被爆者の方々が水を欲しがる、しかし、水を飲むとすぐに亡くなることが分かっていたため、軍医さんは少年兵たちに水は与えるなと厳しく命じていたというのです。「どうせ死ぬならせめて最後の願いを叶えてあげたい」と水を与えた少年兵も、家族が探しに来るので“せめて1分1秒でも命を繋ぎ止めたい“と願い、水を与えなかった医師も、それぞれが「あれでよかったのか」と後悔し続けたと聞きました。「あなたがあの時その場にいて、『水をください』と言われたならばどうしたでしょう?」解説してくださった方の問いかけが、酷暑の中での研修であったことも手伝い、深く心に残りました。

上記の聖書の御言葉は、ある女性にイエス・キリストが語られた御言葉です。この女性は、サマリヤの女性で普段イエスのようなユダヤ人は話しかけない人でした。しかも彼女は普通は涼しい朝夕に水を汲みに来るはずなのに人目を避けて真っ昼間に井戸にくる「訳あり」の女性でした。この女性になんとイエスの方から「わたしに水を飲ませて下さい」と話しかけたのでした。彼女は「これさえあれば人生は満ち足りる」と信じていたのか、次々に男性との恋愛関係を繰り返しましたが、結局そこには彼女の本当の心を満たすことはなかったようです。イエス・キリストは彼女自身さえも本当の解決が分かっていないような心の奥底からのどうしようもない渇きを見抜いて、彼女の渇きを満たす言葉をおかけになったのでした。

現代でも、私たちはどうしようもなく“渇き“を感じます。あれもこれも色々やっても満たされない、その思いにイエスは
「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。」
と答えを与えて下さいます。別の方法で満たそうとあらゆる欲望を求める先には、残念ながら自己中心、自国中心、そして戦争さえも起こりうることを歴史は証明しています。あの少年兵や軍医の方々の悩みなど必要のない世界を実現するには渇きを満たす本当の解決が必要です。イエスの与えてくださる永遠のいのちへの湧き水をいただく、そのことで、私たちは本当の渇きから解放されるのです。

お祈り
父なる神様。日本では先の戦争の記憶を刻む週を迎えていますが、世界では平和の祭典と言われるオリンピックが開催されている今も戦争が続いています。ウクライナ、ガザで続いている武力・暴力による行為が1日でも早く終わりますように。
どうぞ私たちの心の中にある渇きが他の間違った方法ではなく、イエス様の御言葉通り、イエス様によって満たされますように。そのことから私からも平和が始まるように助けて下さい。主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。

中高等部長 櫛田真実