新約聖書 ガラテヤ人への手紙 6章1節
「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」
イエス・キリストは「互いに愛し合いなさい」という一言を、新しい戒めとして弟子たちに教えました。キリストの律法とは、愛し合うことであり、お互いの痛みや歪みを(すべては無理でも)荷い合うことであり、ゆるし合うことです。
ゆるし合うということは、相手に注意しないということではありません。この聖書の言葉にあるように、誰かが間違ったことをしていたら忠告してあげるべきなのです。そして、忠告できる人とは、その人を愛している人なのです。私たちがその人を愛していないなら、陰口を言うにしても怒鳴るにしても、その人の人格をより傷つける表現を選びます。本気で助けたいと思っていないからです。もし愛しているなら、結果として傷つけることになるとしても、伝え方を悩んで考えて、自分も一緒に傷つきます。
キリストのことばは、私たちに双方向の気づきを与えます。そのときはその人が悪いかもしれません。しかし別のときは私が悪い場合もあります。「普通の人はこんなことしない」「あんな言い方はおかしい」と思うときに、多くの場合私たちは自分が同じことをしていることに気づきません。私たちが誰かの過ちに気づくときとは、自分の過ちに思い至る機会でもあるのではないでしょうか。
今日、柔和な心で注意できる私になれますように。そして今日、私が誰かに注意されたら、その人の愛に素直に応えることができますように。
【祈り】
憐れみ深い父なる神様。小さなプライドを私が捨てられるように助けてください。そして本当に相手のことを考えながら、人を助ける言葉で注意したり、話しかけることができるように知恵と導きを与えてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン。