玉川聖学院 中等部・高等部

礼拝のことば
~心を耕し、磨く

礼拝のことば<br>~心を耕し、磨く

荒波のときこそ

ある日のことであった。イェスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間に、イェスは眠り始められた。ところが突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます」と言った。イエスは起き上がり、風と荒波をりつけられた。すると静まり、凪になった。
ルカの福音書8章45章22節~24節

先日、すみだ北斎美術館に行ってきました。
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が新千円札の裏面の図柄として採用されたことを記念して、この夏は「北斎グレートウエーブ・インパクト-神奈川沖浪裏の誕生と軌跡-」という企画展が催されています。巨大な生き物が覆いかぶさってくるような波形と爪を立てたような波頭。誰もが一度は見たことのある作品でしょう。北斎が70歳の時の作品といわれ、あの大波を描くまでに数々の波を描き続けていた北斎の作風の変貌と、その影響をうけた後続作品を鑑賞することができ、とても興味深い企画展でした。
この企画展では「浪裏」がプロダクトデザインとして使われた硬貨や切手、様々な商品やパロディ画も展示されていて、あの荒波が旧約聖書のノアの箱舟の大洪水となっていたものもありました。また、売店では、スヌーピーが「浪裏」でサーフィンを楽しんでいる絵の一筆箋をみつけ、巨大な浪を前にスヌーピーが「なんにも怖がることなんてないさ、むしろこの荒波を楽しまなきゃ!」と言っているかのようで、気に入って買ってしまいました。

ルカの福音書8章22節~24節にも荒波に揉まれている舟上の様子が描かれています。弟子たちの慌てぶりをみると、北斎の「神奈川沖浪裏」さながらの大きな波だったのかもしれません。
ところが、イエス様は舟の後ろの方で眠っておられました。弟子たちは「先生、先生」とイエス様を連呼してたたき起こし「私たちは死んでしまいます」と言います。「寝ている場合じゃないだろ!こんなときになにやってんだよ!」とでも言わんばかりです。弟子たちのうち、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネの4人は漁師でしたから普段からガリラヤ湖の気候の変化も含め、湖のことは良く知っていたはずです。けれども、その日の突風と荒波はいつもとは違い、命の危険を感じるほどだったのでしょう。
弟子たちがあまりにも騒ぐので風と荒波を叱りつけて静まらせ、慌てふためく弟子たちに「あなた方の信仰はどこにあるのか」とおっしゃいました。わたしが一緒にいるのだから何も恐れなくてもいいではないか、何を疑っているのか、ということでしょう。

人生の荒波の時こそ、グレートウエーブでサーフィンをするスヌーピーのように「イエス様が共におられるのだから何も怖くなんてないさ、こんな荒波のときにこそイエス様は一緒にいてくださるんだからさ!」と乗り超えてゆきたいものです。
波を制することのできる力をお持ちの方が共にいてくださるなら、力や励ましや希望をくださらないはずはありません。

【祈り】
神様。たとえ人生の荒波が押し寄せてきたとしても主が共にいてくださることを信じて歩み、主とともに超えていくことができますように、今日も愛と力を注いでください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

中等部教頭 笠井洋子