新約聖書 ヨハネによる黙示録 3章20節
「見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
一緒に食べるものがあると、友達とのおしゃべりは弾みます。ちょっと重たい話をするときにも、甘いものがあると心のいやしになりますね。新型コロナウィルスのおかげで、友達と何かを食べながらおしゃべりをすることに気を遣ってしまう今日この頃ですが、こんな中だからこそ、一緒に食べてくれる誰かの大切さがわかりませんか。
話す内容は、他愛のないことであったり、共通している趣味や好みであったり、一緒にがんばっている部活のこれからについてだったり。いつまでも話していたいと思うのは、お互いが好きでお互いに居心地がいいから。相手の話に共感できるし、自分の話も聞いてもらえる。向き合っていると楽しくてくつろげる。イエス・キリストは私たちにとってそのような方なのだと、ここで紹介されているのです。
救い主イエスは、私たちがひとり閉じこもっている部屋の前に立ち、私たちの名前を呼び、戸をたたき続けています。神という存在がいたとしても得体のしれない遠くの何かだろうと、多くの人は考えます。しかし神は、私たちの近くに存在し、和やかに一緒に食事をしようと待っているのです。
祈りとは、神と語り合うことです。誰にもいやせなかった心の孤独にあたたかいものが流れ込んでくる時間です。
【祈り】
憐れみ深い父なる神様。私の心にぽっかり空いているうつろな寂しさの中に、どうぞお入りください。私の心のありのままをお話しますので、あなたのことも教えてください。そして私の心に、今日を穏やかに生きる力を呼び覚ましてください。
イエス・キリストのお名前を通してお祈りします。 アーメン。