旧約聖書 伝道者の書7:2
「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。
そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」
悲しいこと、つらいことは、私たちみんなが避けたいことです。
しかし、そこにいるように導かれ、そこに立ち止まらなければならない人は、むしろ良い導きの中にある、と聖書は語ります。なぜならそれは、すべての人類に共通する痛みが、自分の中に生まれるときであり、この痛みを通った人だけが心に秘めることができる深淵を知ることになるからです。
人が悲しんでいる様子を見るのもつらいものです。何もしてあげられないまま、そこに長く居続けることは、私たちには勇気のいることです。しかし、無力なままそこにいることでしか、表現できない愛もあります。
体験しなければわからないことがあります。ショックを受けなければ、心にとどめることができない真実もあります。そして、それを知っている人だけが分かち合うことのできる慰めを、この世界は必要としているのです。
死や苦しみに出会うときは、嘆き、泣きましょう。
私たちにはどうにもならないことの背後に、神の悲しいまなざしがあります。神は人間の悲しみを、人間以上に知っていて、私たちの罪を十字架上の死ですべて引き受けてくださった方です。
悲しみを知ることは、神の憐れみと救いを知るための、最も確かな道なのかもしれません。
【祈り】
父なる神様。私たちのいのちのはかなさをあなたは知っておられます。私たちを憐れみ、この悲しみがあなたの愛と慰めを知る入口となるように、私たちを導いてください。
イエス・キリストの御名前によってお祈りします。アーメン。