旧約聖書 箴言19:21-22
「人の心には多くの計画がある。
しかし主のはかりごとだけが成る。
人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」
課題提出、学院祭の準備、進路実現のために書類を書くための調査と決断…私たちは様々な計画を立てながら、分刻みの生活を送っています。私たちの心は、常に次の〆切や心配や緊張でいっぱいになっています。より早く、より効果的に、より影響力を周りに与えられるような…そんなスキルがもてはやされている現代です。しかし、私たちの計画は、すべてが実現するわけではありません。どんなに周到に準備したとしても、予定とは違う場合もあります。
そんながっかり感があるときに、聖書の言葉は違う視点を教えてくれます。実現しなかった計画は私たちの失敗ではないのです。予定通りではなかったという私たちの経験も含めて、神の計画が実現したということなのです。起こったことにも、起こらなかったことにも、神の意図があり、いつか明らかにされるかもしれない意味があると考えることができるのです。
さらに、この聖書のことばは、人間のあらゆる計画の中に隠れている、人間たちの深い願いを言い当てています。私たちが求めているのは、計画の成就、達成感、勝利、獲得…だと思っているかもしれませんが、本当は「人の変わらぬ愛」を、それらを通して自分に与えられることを願っているのが私たちの毎日だというのです。当たっているでしょうか?
聖書のことばが、こんな風に私たちの真実を言い当てるのは、私たちがはっきりと自分の必要を自覚し、それを神に求めるようになるためです。「そうだ。私がほしいのは私を見捨てないでくれる誰かの確かな愛なのだ。」 自分がほしいものが何なのかがわかれば、それに応えてくれる存在が誰なのか、誰でないのかにも気づくことができるのではないでしょうか。
いつまでも残る、変わらない愛。それは神しか持っていません。
【祈り】
天のお父様。私の心の中には欠けた部分があります。本当に信じて大丈夫な、確かな愛を私は必要としています。私の心があなたの愛を感じることができるようにしてください。
イエス・キリストの御名前によってお祈りします。アーメン。