旧約聖書 伝道者の書 3章 1~2節、11節
「天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
…神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」
学校が元通りに再開する予定、部活が始まる日程、選挙が公示される日。私たちは予定を決めて、その時に何をするかを定めて、そのために準備をします。そうやって私たち人間が定めることのできる時もあれば、そうでない時もあります。待つしかない、そしてその時が来たら受け入れるしかない、という種類の時もあります。逆らうことのできない時の到来のことを、私たちは「運命」と呼んで、その大きなうねりの前に圧倒されることもあります。しかし聖書は、私たちが経験しつづける様々な時の到来について、すべて神のなさる美しいタイミングだと言い切るのです。
美しいものには調和があります。その場の心地よさだけではなく、その前と後をつなぐ意味深さを伴うものです。今まで納得できなかったこと、心が落ち着かなかったことの中に「これでよかったんだ」と思えるような事柄を見出すこともあるでしょう。他の時にこの出来事が起こっていたら、自分は耐えることができなかった、あるいはこのことの意味に気づくことができなかったと思えることもあるでしょう。「その時」だけが持つ、私たちの体験をつなぐことのできる力を、神は私たちに発見させようとしているのです。
今日も神に定められた時があります。あなたのために、この時だからこそという繊細な配慮が与えられます。今日の営みは必ず過去と未来を結び付け、あなたに将来を与えます。そして神は、その希望をさらにその先の永遠のいのちへとつなげようとしているのです。
【祈り】
父なる神様。私の心の焦りや心配を落ち着かせてください。私は時を支配できないし、未来を知ることもできません。どうぞあなたがすべての営みを美しく調和させて、ちょうどよいタイミングで私の人生をつなぎ合わせてください。
イエス様の御名を通してお祈りします。アーメン。