玉川聖学院 中等部・高等部

礼拝のことば
~心を耕し、磨く

礼拝のことば<br>~心を耕し、磨く

今日の聖書のことばと祈り

旧約聖書 列王記 第一 19章11~12節
「主は仰せられた。『外に出て、山の上で主の前に立て。』すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。」

 体の疲れは取れたはずなのに、気持ちが前を向かないときがあります。心の疲れというものは、どうしたら癒されるのでしょうか。
 食べて、寝て、力を回復したエリヤは、40日40夜歩いて、神の山の洞穴にたどり着きます。そこで神から問いかけられて、自分の不安と不満を訴えます。「あなたのために私はひとりでがんばりました。味方はいませんでした。みんなあなたに敵対し、私は殺されかけているんです。」神はエリヤの訴えに答える代わりに「わたしと向き合え」と命じます。人間は神を見ることはできないはずなのですが、この時のエリヤは、神がそこにいるかどうかを判別することができたようです。激しい爆風、突き上げるような地震、燃えさかる炎。天変地異は神が姿を現すのにふさわしい舞台のように思えました。しかし、これらの中に神はいなかったというのです。最後に聞こえてきたのはかすかな細い声。神は、ようやく聞き取れるか細い声の内にご自分を現される方だということなのでしょうか。
 この後、神は再びエリヤに問いかけ、エリヤはさっきとまったく同じことを答えます。同じ事実を同じ言葉で伝えるエリヤでしたが、その心は以前とは違うものになっていたはずです。彼は神と新しく出会いました。この方は、大きな奇跡や力によって世界に変革を強いるよりも、かすかな声で人間たちに呼びかけることを選ばれる神なのだと知ったのです。「そのあり方、そのやり方が神の心だというのなら、自分がここまでひとりで耐えてきたことも、いのちの危険にさらされるほど人々から反発されてきたことも、むしろ、神が私と共に歩んでいた証しだったのではないか。そうだとすれば、私はひとりだったのではない。神はずっと共にいてくださったのだ。」

 私たちを消耗させた課題や仕事のただ中に、神は共におられたのではないでしょうか。見放されたように感じたあの時は、実は神が最も近くにいてくださった時なのではないでしょうか。このような気づきは私たちの過去の意味を変えてくれます。そして引きずってきたたましいの疲れを癒すのです。

【祈り】
天のお父様。あなたが私と共にいてくださった足跡を教えてください。そして私の過去の心の疲れを癒してください。私があなたを知ることを通して、自分の学びや働きの意味を新しく受け取ることができますように。
この祈りをイエス様の御名を通しておささげします。アーメン。