旧約聖書 詩篇136:1
「主に感謝せよ。
主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。」
非常事態宣言が再び発出されようとしています。
こんなとき、すなわち、誰かの判断やことばによって、大きく生活が左右されようとしているとき、人のことばではなく神のことばに、改めて心を向けましょう。
「神はいつくしみ深い」。
神は憐れみ深い方です。私たちが自分の貧しい愛によって、誰かのことを心配したり、誰かのしたこと(しないこと)に怒ったりするのなら、神と呼ばれる存在は、それ以上の鋭さと確かさを持って、私たちのことを心配し、怒り、そして救いたいと願っています。
そんな神のことばを、人は、自分がそれを必要としているときに限って、信じることが出来ません。「私は神なんかあてにしない」という人も多いでしょう。実際、神が存在している空気感が、目の前にあるわけではありませんからね。
しかし、そもそも、自分の感覚で創造主である神を把握しようとしていることに無理があるのです。創造主はあなたに認識されなくても、存在しています。そして、神の憐れみもまた、あなたが感じ取れなくても、確かにそこにあるのです。自分の愚かさや弱さを嫌悪するときにも、病のただ中にも、死を通るときすらも、神の愛は変わることなく、減ることなく、面倒臭がることなく、私たちの今日の日に神の永遠の力を分け与えようとしています。
「神がいつくしみ深い方だということを信じる。」
私たちの今が、神の愛から切り離されていないということを知ることは、今日を大切に生きる力になります。
人の声が私たちにどのような状況を伝えても、神のことばを信じながら、顔を上げましょう。そんな新しい生活様式を、今年こそ始めていきたいと思うのです。
【祈り】
憐れみ深い神様。思い通りにならない日々が改めて始まろうとしています。私たちの心が、その中でも感謝と喜びを見つけて、お互いの生活を支え合う行動を選び続ける力を持つことができるようにお守りください。救い主イエス様の御名前によって祈ります。アーメン。