新約聖書 マタイの福音書1:23
「『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。』
(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」
自分の居場所がないという空気をあなたも知っていることでしょう。自分に関心を持ってくれる人が見当たらず、自分が必要とされていない、居心地の悪い、あの感じです。そういうところでは、私たちは長居をする勇気を持てません。ですから私たちはいつもいろいろな形で賛同者を集めて、自分がひとりではないことを、自分にも周囲にもわからせようとしています。しかし、周りがにぎやかになるほどに、独りになってしまう孤独が、私たちにはあります。
救い主イエスの別名が、「神は私たちとともにおられる」であると紹介されていることは、そんな私たちへの神からの答えだと言えるでしょう。
多くの人にとって、神とは、「もしかしたら願いをかなえてくれるかもしれない存在」として理解されていることでしょう。しかし、聖書の神が人間に与えようとしている救いは、「もしかしたら」という確率や可能性を数えるものではありません。この神が与えるものは、確実性です。この救い主は、私たちの願いをかなえる以前に、そこに確かにいてくれる存在なのです。私たちが祈ると天から降りてきてくれるかもしれない…のではありません。救い主はすでにそこにいるのです。
今週から始まった待降節は、クリスマスを待ち望む心を再体験するときです。この季節にもしあなたの心に寂しさが募るなら、それは救い主を待ち望む心が養われているということです。あなたには本当の家族が必要です。あなたから離れ去ることのない、死を越えた先までともに歩んでくださる神を、心に迎え入れることが必要です。
あなたの永遠の居場所を見つけるために、あなたの中に、救い主の居場所を空けてください。
【祈り】
父なる神様。救い主イエスを迎え入れることで、私のこの心のむなしさも終わるのでしょうか。アドベントを通して、私の心があなたの住んでくださる場所として、整えられていきますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。