新約聖書 ヨハネの福音書 14章 14節
「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」
イエスの言葉は、誤解の余地なく、ストレートに私たちに語りかけます。「わたしに求めてみなさい」と。
私たちは、いつも不満と不安を思いついては、誰かのせいにし、周りの人に愚痴を言います。
「もっとこうだったらよかったのに。」「どうしてこうしてくれないの。」
そう言いながら、私たちは一体何を願っているのでしょう? 一体誰に、どうしてほしかったのでしょう?
「どうしてほしいかなんて、私にもわからないわよ!」という答え方もありますね。
私たちにはっきりわかるのは自分の不満だけで、満足できる道が何なのかなんてわからない…というよりも、満足できる現実があり得るなんて思っていない…どうせ願い通りになるなんてことはないのだから、いつも文句を言うことになるに決まっているじゃないか…。
そんな心の私たちに対して、神はいつも正面から向き合おうとするのです。
「何をしてほしいのか」
この問いに答えるには、不満だけを言い続ける部外者的な態度をやめなければなりません。自分がどのような意思を持って、どの方向に行くことを願っているのか、自分の人生の主体にならなければなりません。そして、もしもその願いの通りに道が開いていったら、そこをちゃんと歩き始める責任が問われます。なぜなら、この道が開かれたのは、あなたが願ったからなのですから。
神を信じて生きていくとは、すべてを神頼みにして、自分の意思を捨てることではありません。自分の本当の願いや思いを、率直に神に訴えながら、神が開いてくださる道に応答しながら歩んでいくことなのです。隠し事なく、ごまかしなく、そして遠慮もなく、自分の意思と神の導きを確かめながら、神を同伴者として選んでいくことなのです。
待たなければならないこともあります。あなた自身に準備が必要なことがたくさんあるからです。実現しないことも当然あります。あなたが自分を知らなくて、願うことがその通りになることがあなたにとって不利益なこともあるからです。そしてあなたに関する神の祝福の計画は、あなたが今思い描いているものを越えたものだからです。
納得できる人生は、イエスの言葉に答えるときに、今、いつでも始めることができるのです。
【祈り】
神様。あなたに、本当の心の願いを打ち明けます。今日の私に必要なもの、今日の私が安心するために必要だと私が思っていることを、お伝えします。あなたのまっすぐな問いに、私もまっすぐ答えます。どうかあなたの答えが、私に見分けられますように。
主イエス・キリストの御名前を通してお祈りいたします。アーメン。