玉川聖学院 中等部・高等部

礼拝のことば
~心を耕し、磨く

礼拝のことば<br>~心を耕し、磨く

今日の聖書のことばと祈り

新約聖書 ローマ人への手紙 8章 26節
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわ
からないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてく
ださいます。」
 誰かのために祈るときも、自分のために祈るときさえも、私たちはどう祈ったらわからない、というの
が現実のようです。もちろん、具体的なその人の必要がわかっているときもあります。病気が治るよ
うに、試験に合格するように、つらい心がいやされるように…。しかし、それでもなお、私たちは人間
のたましいの奥の本当の必要については、思い至らないのではないでしょうか。
 上記の聖書個所の8章では、「うめき」という言葉が繰り返し使われていて、まだ現実になっていな
いものへの憧れと希望を、苦しみの中で待ち焦がれる様子を現しています。もうすぐ誕生するわが
子を、この世に押し出すための産みの苦しみの声にもたとえられています。イエスを信じる者の中
には、聖霊なる神が住んでくださって、私たちが何を求めたらよいのかわからないときに、その実現
のために、代わりにうめくようにして神にとりなしてくださる、というのです。
 確かに私たちは、自分のために何が最もよいことであるのかがわかりません。たとえ今自分が願っ
ているものをすべて手に入れたとしても、その時に自分が幸福なのかの保証はありません。その人
と一緒に生きていきたいと熱望しても、傷つけ合う結果になっていくかもしれません。一歩一歩をど
のように進めていけばよいのか、次の一歩をどのような願いで方向づけたらよいのか、本当にこれ
でよいのかと不安になります。私たちは常に幸福と平和を願っています。しかし、どう求めたらよい
のかわからないのです。
聖霊は、そんな私たちの代わりに、神とつながってくださるのです。私たちがあきらめている最中
に、神の祝福が現実になるようにと、とりなしの祈りを続けてくださるのです。御霊によることばになら
ない深い訴えが、私たちの内から全能者の心へと、私たちが知らない間に常に立ち上っているとい
うのが聖書の語る現実です。私たちが神に祈る勇気は、この現実から生まれるのです。
 私たちの祈りは、自分勝手であったり、表面的であったり、偽善的である場合もあります。しかし、
祈り続けていきましょう。心を静め、自分に正直に向き合う中で、自分なりに真実だと思える一言を
祈ることを学んでいきましょう。真実な祈りは、私たちによってではなく、御霊によってすでに祈られ
ています。ですから私たちは安心して、貧しい祈りをささげつづけていきましょう。
【祈り】
主なる神様。あなたは祈ることを知らない私たちに、イエス様の模範を通して、そして御霊のとりなし
に基づいて、少しずつ神とつながる祈りを教えてくださっています。私たちは祈りを喜びとしていくこ
とができるようにしてください。
イエス様の御名前によって祈ります。アーメン。