新約聖書 マタイの福音書 14章 31節
「そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。
『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。』
そしてふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。」
玉川聖学院では、昨日から全学年登校が始まりました。それぞれがお互いの安全と安心のために、自分にできることを学ぶ大切なときです。いつもの自分の習慣を、「誰かのために」を動機にして変えていくことができたら、私たちの選べる未来が広がります。「自分のため」だけではない生き方も、私たちの選択肢になっていくわけですから。自分が小さく変わることにとりくみながら、楽しい学校生活を一緒に形作っていきたいと願っています。
さて、それにしても私たちの心は、いつも不安でいっぱいです。考えるのをやめてしまえば、心配もなくなるのでしょうが、そんなわけにもいきませんね。上記の箇所は、湖の上を歩くイエスを見て、弟子のペテロが「私も水の上を歩かせてください」と頼んだ後の場面です。「来なさい」とイエスに呼ばれて、ペテロは何歩か歩いたようです。しかし吹き付ける風に気付いてこわくなったとたんに、水に沈みかけるのです。「助けて!」と叫ぶペテロを、すぐに手を伸ばして引き上げたイエスは、彼に信仰について問いかけます。
「信仰はないのか。どうして疑ってしまうのか。」
2人が舟に乗り込んだとたんに、風が静まります。しんとした湖の上で、今聞いたばかりの「信じられないのか」というイエスのことばは、ペテロにとっても、その舟に乗っていた他の弟子たちにとっても、神そのものからの問いかけとしか思えなかったことでしょう。彼らは舟の中で「本当にあなたは神の子です」と、イエスを礼拝したのでした。
「この波を私は歩きつづけられるのか。神は私に本当に力を与えてくれるのか。」
新しい可能性に対して一歩を踏み出す、その歩みの最中に私たちは不安になります。「信じられないのか」と問いながらも、イエスはそんな私たちの沈んだ手をつかんで引き上げてくださいます。大胆に冒険を始めた次の瞬間には、情けなくイエスに助けられる私たち。しかし、そうやって神に助けられる体験を繰り返すことを通して、私たちの心にはようやく「この方と共にいれば大丈夫なのだ」と思える信仰が、小さく薄く育てられていくのではないでしょうか。そしてイエスは、私たちが助けを求めて叫ぶ度ごとに、すぐに手を伸ばしてくださる方なのです。
【祈り】
憐れみ深い神様。九州から東日本まで、大変な水害が続いています。被災している方々の心に神様が共にいてくださり、具体的な助けと守りをお与えください。私たちも、あなたに助けていただくことをたくさん体験しながら、あなたを信頼する心を育てていただけますように。
主イエス・キリストの御名前を通してお祈りいたします。アーメン。