新約聖書 マタイの福音書 5章 9節
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」
どうしてあの人は、あんなひどいことをするのでしょうか。こんなことが繰り返されることを放っておいてよいのでしょうか。どこかで思い知らせてやらなければ、本人のためにもならないのではないでしょうか。…
私たちの怒りには、いつも正当な理由があります。驚くべきことは、そのひどいことをしたその人にも、それをした正当な理由があるということです。他の人には理解されないかもしれませんが、私たち人間は、常に自分は正しいと思って生きています。こんな私たちがお互いの主張を止めずに、そしてお互いの心を聞かずに、自分の正しさを貫こうとしたら、当然世界は戦争になります。事実、戦争は起こり続け、絶え間ない争いが私たちの日常にあります。多くの人々は平和を願い、穏やかな生活を取り戻したくて戦い続けます。私たちの戦いにいつか終わりは来るのでしょうか。
もし私たちが、平和をつくる人になりたいと思うなら、一旦、自分の主張を捨てなければなりません。悪事を許容するということではありません。自分の正しさを一旦、脇に置くということです。そして、あなたが自分のやり方で世界に秩序を取り戻さなくても、神が世界を正しく裁いてくださることを信じて、神の正しさに道をゆずるのです。
あなたが人を断罪するなら、いつかあなたも同じ規準で断罪される日が来ます。私たちは、人に正しさを学ばせるよりも、ゆるし合うことを学び始めなければなりません。そのためには、「自分は正しい」と思っていたまさにその時、私たちが罪人であったことを知る必要があります。そしてそんな自分の現実に自覚がなかったまさにその時、救い主は私たちの代わりに死んでくださっていたのです。
救い主を信じ、神の子となった人は、平和の道具として神が用い始めます。争いや不満のただ中に、あなたは置かれることでしょう。ひとりで頑張ろうとしてはいけません。心が参ってしまいます。救い主イエス様が共にいることを思い出しましょう。穏やかな心は、救い主からあなたの心に注がれ、そして周りを変えていきます。
【祈り】
平和の主よ。この争いが続く世界のただ中に、あなたは救い主をお送りくださり、今、わたしをここに遣わしてくださっています。どうぞ私を平和の道具として、人々をつなげるために、自分の正しさをあなたに委ねる者としてください。
イエス様の御名前によってお祈りします。アーメン。