玉川聖学院 中等部・高等部

礼拝のことば
~心を耕し、磨く

礼拝のことば<br>~心を耕し、磨く

今日の聖書のことばと祈り

新約聖書 マルコの福音書 11章 25節
「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」

 人は祈るとき、自分を省みるものです。目を閉じて自分の願いを心で唱えるとき、そんな願いを聞いてもらうにふさわしい自分であるかどうかを、私たちは一瞬考えてしまうのではないでしょうか。その願いが真剣なものであるほどに、何かを代償として差し出さなければならないと感じて、神に交換条件を提示することもあります。「これからは~しますから、この祈りを聞いてください」と。
 しかし、聖書の神は、私たちの祈りを聞こうとするときに、私たちが犠牲を払って何かを提供することを期待していません。私たちが動くこと、働くこと、ささげることではなく、私たちの心がどこを向いているのかを問いかけるのです。
 今、あなたの心の中に、誰かに対する憤りや軽蔑がありますか。嫌悪感や攻撃する思いが住みついていませんか。あなたがその思いを抱えたままでは、どんなに犠牲的な奉仕をしたとしても、それが神によろこばれることはありません。神がよろこばれるのは、私たちの心が、神と同じ願いに向かうことなのです。すなわち、隣人の罪を愛で覆うことです。イエス・キリストが人の罪を背負って身代わりに死んでくださったように、私たちも、隣人の今日の小さな罪を赦すことなのです。たとえあなたの心が復讐に燃えても、キリストの私たちへの赦しを思い起こすことによって、その人を赦すことなのです。

 祈りとは、私たちの願いを自由に神に伝えるときですが、その神がどのような方であるかを思い出すときでもあります。もしも私たちが救い主イエスの父なる神を自分の神として祈るなら、人を恨み続けることは私たちにふさわしい態度ではありません。その恨みは、結果としてあなたを不幸にし、あなたによって他の人を不幸にしていきます。
 神は、祈りの度ごとに、隣人を赦す決意に私たちを招きます。それは私たちの受け取るべき祝福がかき消されないためなのです。

【祈り】
天にいらっしゃる父なる神様。今日も私の心は、ある人に対して怒り、妬み、今もその思いを引きずっています。あの人を赦せとおっしゃるなら、その心を私の中に与えてください。イエス様が私を赦してくださったように、私も隣人を赦すことができますように。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。